前回では、セレブリティな社交界のムードそのものがもう時代的に圧迫される時期に来ているのではないか、ということを書きました。
このような、既存の価値観を否定して更新を求める運動を「Time’sUp」と言います。
この運動を代表する俳優の一人として知られているのが、XーMENのストーム役でおなじみのハル・ベリーです。
2002年、彼女は黒人女性の俳優としてアカデミー主演女優賞を受賞しました。
以後、黒人種からその部門の受賞者は存在していません。
このことに彼女は問題提起をし、体制の在り方に対して働き続けてきています。
こういった映画業界からのアカデミーの体制へのアプローチとは別の角度からの見解もビンタ事件では浮上しています。
それは、言論の自由に関する問題です。
コメディアンが人を馬鹿にして笑いをとったら報復されるというのはこれは言論の自由の否定ではないか、という意見です。
今回の事件だけで見るならばそれはちょっと理解がしがたい解釈なのですが、実際に日本でも、お笑いの人や文筆業者が政治関係者に反対したところ、理不尽な訴訟を起こされるという事実が起きています。
そのような目で見たならば、ジョークを言ったら暴力で口をふさがれるという前例を作るのはまずい気もします。
また、このような流れがあるためか、逆に権力にすり寄ってフェイク・ニュースや既得権益者との利害を前提とした発言をするお笑い関係者も増えているようです。
そのような流れに対して「元々お笑いとは権力者をバカにしてやってることを暴くものだ」という意見もありますが、同時に「幇間芸と言う物がある」という見方も出来ます。
それらを含めて「言論の自由」として玉石混交の発言が縦横無尽に飛び交う中で、各人の知性によって真実がくみ取られてゆく、というのがおそらくは自由主義の世の中なのでしょう。
確かにひどく疲れます。
疲れて判断力を必要としない陰謀論に寝そべりたくなる気持ちも分からなくはありません。
しかし、その思考放棄こそが現在の深刻な危機の元になっている。
トランプ氏の政権によって注目されたポピュリズムの危機は世界中で問題を引き起こしています。
その最たるものは、現在のロシアの状態でしょう。
ある報道によれば七割のロシア国民が政府の発信を信じていると言います。
体制が発信する情報を無精査に信じてしまい、陰謀論に耽溺する、そういう人々の集団の力が世界的な問題を引き起こしています。
これによっていま、世界の経済はサブプライム・ローン以上の悪化をすると言われており、食糧問題では大量の餓死者が出ると言われています。
日本でも七月以降、この問題の影響が本格的に顕現され始めると言われています。
思考停止した大衆によって問題が広まり、それによって貧困と格差が広まります。
そして貧困と格差はさらに愛国者と陰謀論者を生む傾向があると言われています。
すなわち、より多くの大衆が満ち満ちて、このポピュリズムの流れを加速する訳です。
人間一人一人の愚かさ、いや、そこまで言ったら言い過ぎだという人もおられるでしょう。言い方を変えれば己の思考に責任を持つことのなさが、明確に世界に悪影響を与える時代になっています。
三年前、パンデミックによってニュー・ノーマル化が始まるとここで書きました。
その時に、冷戦の再現が訪れ兼ねないか心配だということも書きました。
そしていまロシアが、旧ソ連時代の再現のようなことを始めています。
想像しうる限りの悪い方向に世の中の流れが向かっている。
それを食い止めるために、各人が生き方を変えて市民意識を持ち、生き方を変えて自らの発言と思考に責任を持つことが重要だ、ということを訴え続けています。
華やかなパーティでのビンタ一発にも、そういった時代の変化、価値観の軋轢が含まれているのではないでしょうか。
そして私たちはまだ、新しい価値観の世界における公の場でのエレガントな振舞い方と言う物を見つけられていません。
一律の無個性なエレガントさに行儀よく合わせた結果が、あのビンタ事件の低調には流れているように思います。
そのような環境の中で、自分のエレガントを表現するには平素からの強い思考の反芻と自己の確立が必要であると思われます。
定番のお仕着せを纏って場の流れに行儀よく乗っかって当たり障りなくその場をやりすごすようなことは、すでにちっとも当たり障りのないことではなくなっている。
それらはむしろ有害であるのではないでしょうか。
すでにTime’s Upの声は上がっているのです。