鍼灸学校での新生活が始まっており、忙しい日々が続いています。
元々日が暮れると寝床に入って20時くらいには眠るという生活をしていたのを、一年くらいかけて学校に通える時間の生活サイクルに調整はしていたのですが、その状態でこれまで通りに働いてプラス学校となると明らかにリソース不足です。
養生と練功を見失うとすぐに生活のバランスを失うので、収入を得る時間を削って行って現在より良い状態に再調整をしている最中です。
入浴時間や食事時間などがすべて睡眠時間に直結しているので、あそびのないピーキーな時間配分になりがちなとても厳しい中に居ると、どうしても練習時間が短くなってしまいます。
しかし、そういった時間が取れるときは、その日をまた一歩先に進んだ日だと感じて有意義に感じることが出来ます。
いや、本来は学問だけで充分そうなはずなんですけれどもね。私はちょっと意地汚いのかもしれません。
そのようにして自分のリソースと向かい合いながら学問を続ける毎日なのですが、最近、若い同級生たちに私の勉強の仕方を「そうやって覚える人、初めて見た」と言われることが続きました。
その中には若いお医者さんも居たりして、彼らは明らかに私より記憶力が高いことが類推できます。
というか、私が元々極端に物覚えが悪い。
中学生の頃には三歩歩くと忘れる猫頭だと言われていました。
鶏頭なら有名なのですが、二本足の鶏に対して猫は四本足なので、全部の足がローテーションする前に物を忘れているのでより頭が悪いということらしいです。
このように、身体能力として物を記憶するという能力が非常に低い私は、物事を断片でではなくて全体の「仕組み」として理解しようとする癖をつけています。
言わば猫頭式学習法です。
左心房から出た血液が左心室におりて全身を巡って右心房に戻って右心室から肺に行ってまた左心房に還る、というような循環のルートなら、機械的に暗記するのではなくて「仕組み」として「理解」しようとします。
肺で呼吸が行われるので、当然新鮮な空気を全身に送ることになり、それに押し出されて古い空気と老廃物のたまった血液が心臓に戻ってくる、それをまた肺に送って換気をする、という理屈で覚えます。
つまり、そこに働いている自然のタオを掴もうとします。
この覚え方がですね、どうも珍しいらしいのですよね。
元々物覚えの悪い人間が、学んで納得をするという繰り返しの中で身に着けた習慣なのでしょう。
私のしてきたことはずっとそのようなことでありました。
元々の能力が全体的に非常に低く、人並みに出来ることなどほとんどないことから、出来ることは取り組んで理解して把握する習慣に至ったのですね。
現役でお医者をしている友人などは、私のことを飽きずに物をやる、と言います。
彼のような元々脳の力が高い人間などは、きっとすぐに物を掴んで飽きてしまうのでしょう。
私は納得が行って理解が出来るまでずっとやります。
武術の世界では鈍気という言葉がありますが、これはそういう物に支えられたモノかもしれません。
中国武術のマスターとしては向いてる傾向だったように思いますし、先走れば魔境にまっしぐらの気功の世界にも合っていたようにも感じます。