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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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あらためてタオについて 11・ゆっくりな生き方

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 前回は、中華において仏教が普及し、三教を混交して行ったということを書きました。

 そこから世界的に画期的な禅宗というスタンスが生まれたのですが、この禅にはタオの影響が非常に大きく見られます。

 というのは、中国においては禅のような瞑想は導引、気功として行われてきたからです。

 漢籍におけるそのルーツは、荘子の中に観られます。

 あるとき、荘子が真っ青な顔をして身じろぎもしないで止まっている所を弟子が目撃したというエピソードがあります。

 弟子は慌てて、師匠大丈夫ですか、と心配をしたのですが、荘子曰く、これは虚無の声を聴いていたのだと言います。

 人間はどうしても、目の前にあること、聞こえること、存在する物、何かの動きなどに意識を囚われてしまう。

 しかし、これが消耗の始まりであり、心身を削らせる原因である。

 死や闇などの何もない静けさと繋がることによって安らぎを得ることが出来るのだ、ということを諭したと言いますが、これこそまさに気功の原点です。

 この発想はその後も継承されており、気功の世界では火候適宜という要訣として知られています。

 つまり、人間は生きているだけで陽火の燃えている状態であり、勢あるは尽きるという老荘の根本的な思想によって、いずれは燃え尽きて死にます。

 その消耗を穏やかにするために、内なる活力、積極的、能動的な物を抑えていわばとろ火にし、かつ冷気や水分、緩慢さなどで自己を慰撫して養生させるのだ、ということです。

 現代的に言うとスロー・ライフ的な考えなのですが、このスロー・ライフという言葉を有名にした「スロー・ライフでいこう」という本は、タイトルに反して単に物理的なライフ・スタイルの提唱をする本ではなく、インド人のグルによる瞑想の薦めの著作です。

 この、生命活動を減速させることでその質を上げようと言う発想はアジアの身体哲学においてずっと受け継がれてゆく物です。

 二十世紀半ばまで続いた騎馬民族の清王朝では、迅速に動くと生命が浪費されるとして皇族は牛歩のようにゆっくりと動いていたと言います。

 太極拳が清朝貴族のお抱え武術となった時に突然スローモーションの拳法になったのにはこのことも関係しているかと思われます。

 また、快速、豪快で知られる私の継承している蔡李佛拳などの南派拳法においても、拙速な動きは内面の膜を損なうとして禁忌とされています。

 たびたび引用する少林寺の方丈の言葉にも「武術は火を焚くがごとし。勢を収めねば我と我が身を焼き尽くす」とあります。

 積極、能動の消費社会を形成した白人文化圏の考え方とは根本的に違うところです。

 ですので私的に言わせていただければ、ビジネスマンが思想もないまま瞑想の真似事をして一時休養を取ってはまた激務に励む、などと言うのは本質的に間違ったことで、ヒロポンを打ちながら激務を推奨していた高度成長期の日本と何も変わらない。

 この構造はいまでも、世界各地の発展途上国での児童労働に覚醒剤が伴っているという形で継承されています。

 現在、ロシアの問題で忘れられがちなアフガニスタンでも深刻な経済状況の悪化が続いており、子供たちが覚醒剤をによって疲労をごまかされながら、朝から晩まで働かされていると言います。

 タオの思想、老荘というのはそういう物ではない。

 そこには本質的に生の質という発想が伴っていません。

 では生の質とはどのような概念なのか、ということを次回にお話しましょう。

 

                                                つづく

 

 

 

 

 


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