先日、スクーターでみなとみらい近くの道をのんびり走っていたところ、前方に近所でよく見てはそのたびに立ち話をする(私はもう年寄りなので近所の人とはえてしてそうなる)女性の姿が見えました。
スクーターを脇に停めてこちらに手を振っていたので、手を振り返して通り過ぎようと思っていたのですが、どうも両手を大きく動かして、自分の所にこい、この路肩に停車せよ、とサインを送ってきています。
そこではてバイクが縁故でもしたかと言われたとおりにすると、挨拶も早々に道の先を指さして「ネコちゃん、あそこで死んでるの」と言う。
それは気の毒なことだ、可哀そうにと返事をすると、私がいつも通りのろのろした口調でそう言っている間にもせわしなく目を走らせて私のバイクを物色しているかと思うや「これ、ちょうだいよ」と私がバイクに結び付けて干していたタオルを指さす。
いいけど、そんなバイクがぬれたりオイルやカーボンで汚れた時に拭くような汚いタオル、どうするのかと訊けば、ネコちゃんを包むのだ、と言う。
まだ生きてるの? 助かる? と訊けば、もうダメだ、埋める。と応える。
そうか、この人は、偉い人だな、と感心していると「ねえ、だからこのタオルちょおだいよ」と引っ張る。
世の中の人間の半分くらいは私よりせっかちなのだけど、とくに女の人はせっかちだ。特に有事は。
そういうことならこれでは小さいだろう、とメットインを探せば、ちょうど買い物に使っているエコバッグがあった。
これに入れればいいだろう、と件のタオルと共に手に持って、そのネコの居ると言う方に歩き始めると彼女も後からついてきた。
確かに、行ってみれば道の端に獣が横たわっている。可哀そうに。
「あぁ、顔とか潰れてるかな」と彼女は私の後ろに隠れる。
待っといで、いま包んでくるよ、と私は行ったのだけれど、隠れながらもついてくる。
近くで見てみれば、ネコにしては大きい。
そして見覚えのある模様。
「ネコでは無くてタヌキだね
言いながらそばにしゃがんで手を合わせると「タヌキか」と彼女はすこし気を抜かれたような声をだす。
タヌキと言うのは孤独相の生物で、成獣になると親のテリトリーを離れて自分の領地を探索するという。
一つのエリアに一人しか済まないので、必然タヌキの出没地帯は都会にまで進出してくる。私も何度も都市部で彼らを見たことがある。
「タヌキ、なんだ、可愛いじゃん」
と彼女は安心したように言う。
「そう。可愛いんだ。でも野生だからね、こういう時しかちゃんと見れない」
それから、タヌキはエキノコックスが居ることがあるので決して直接触らないように。そう彼女に伝えて、亡骸をタオルで包んだ。
これが非常に重かった。やはりネコとは骨格構造なりが違うのだろう。
バッグに詰めてバイクを停めたところに戻り、彼女にそれを手渡して分かれた。
実に優しい人だなあと思った。
翌週、学校からの帰りに我が家の前にてタヌキと遭遇した。
私の姿を見かけると、平素近所のネコらが通用している排水溝に姿を隠した。
おそらく今はタヌキの探索の時期なのであろう。
一度、一週間に三回彼等に出くわしたことがあったが、その時も同じころ合いであったのだろうと思う。
人と野獣の間の調和を保つことは難しい。
間違いなく我らが加害側であるのだが、彼等に幸いがあって欲しいと心から思う。
欺瞞だ。
どうかそれぞれ、天道を全うできるよう、と思う。