少し前に、ツイッター上で面白い投稿を見た記憶があります。
ミュージシャンの方がインドでワークショップか何かを開いたいた時に、そこに居た少年が新しいリズムを叩いていたので「いいね、それ、君が作ったの?」と尋ねたところ少年は「ううん、造ったのは神様。ぼくは見つけただけ」と答えたというようなお話でした。
こういうことなのですよね。
これはやはり、良くも悪くも伝統文化と言う物が生活に強く根付いた土地でのお話らしいという気がします。
これに似たことを、格闘技の世界やなんちゃって武術の世界でも見る気がします。
「昔の達人がやっていたすごい動きを俺は見つけたぞ」というようなことを、毎日何千人と言う凡庸な人たちが思っているのだろうなあという印象があります。
彼等とインドの少年の違いは明確です。
インドの少年の中核にあるのは、謙虚さ。
凡庸なオタクたちの中にあるのは、自尊。
真逆の感情ではないでしょうか。
なぜこうなるのかというと、それは人間性の問題、と言ってしまいたくなるのですがいえ、だとしても、文化的背景によるのでしょう。
当たり前の常態として伝統文化の内側に暮らしている人間は、何があってもそれがそもそも初めから当たり前に存在している「日常」との遭遇なのだと思う。
たまたまそれまでは自分の「日常」ではなかったとしても、他の誰かの「日常」なのだろうと思う。
しかし、伝統文化のような一貫した価値観が通底していない環境で暮らしている人間は、どうしても価値観の中心が自分になってします。
なので、何か自分がたまたまそれまで出会っていなかっただけの物に遭遇した時にも、やはり自分中心で感受する。
高度資本主義消費社会の中で、他者も自分も消費されてゆくという中で生きている人間の感性だなあという気がします。
何も受け継いで来ておらず、何も受け渡してゆくことがない。
そのような貧しい環境の中で、これとまったく同じ経緯で陰謀論が広まってゆくのだろうなあと思われます。