前の記事で自分の歩みについてなど少し振り返ってみたりしましたが、もう小学生の頃から三十年以上に(え、じき四十年とかなるの? うわ)渡って格技や武術などに接してきた訳ですが、その間、決して自分が強くなりたいみたいな向上心が中心にあったわけではありません。
根本的には前の記事に書いたような、世界のことをもっと知りたいという動悸が強かった。
どんな民族の人がどんな意図でどのような武術をしているのかですとか、その中で上位に居る人たちと言うのはどのように世界を観ているのか、ということを知りたくて、ある種の潜入取材のような気持でずっと取り組んできました。
ですので、何かの看板が欲しいとかそういう気持ちではやってきていません。
ただ本当のことが知りたかった。
それでもその中で、やはり二十歳を過ぎたあたりでしょうか、自分が強くありたいという気持ちに囚われていた頃があります。
エゴに囚われてしまっていたのです。
自分でも、どこかで「これは自分はどこかおかしいのではないか」と思っていたのですが、昨日今日物を齧り始めたような連中がしたり顔で何かしたり言ったりしていることが我慢ならず、自分の強さで叩き潰して終生後悔させ続けてやらねばならん、というような時期がありました。
間違った見解、間違った知識などということが許せませんでした。
まぁその気持ち自体はいまでもあると言えばあるのですが、当時はそれがエゴと一体となって、自分が強くある、自分が強いからこそ正しい、というように感じる部分がありました。
当時の私はと言えば、伝統武術を学んでそれを実際に使うということばかりをしていて、各種格闘技の大会に出たりもしていましたが、それ以上にやっていたのは道場破りと野試合でした。
したり顔で出まかせを語るような輩が居れば「じゃ、試そうか」というようなことを繰り返す日々でした。
これはやはり日本古武術で躾けられた、とにかくその場がた死に続けろという教えの結果で、目の前の相手を巻き込んで自殺してゆくような生き方の顕れだったと言って間違いないでしょう。
左手の甲にいまでも残っている沢山の傷跡は、この時代に沢山の人間の歯を叩き折って来た名残です。
たかが学生やサラリーマンが趣味でやってることに対してあまりだという意見もあるでしょうが、当時の自分としてはこちらは刀や槍もやっているのにそれらを使わず相手の土壌の素手のレベルで戦ってあげているので随分手加減をしてあげているつもりでした。
そんなことを何年も繰り返してゆく中でボディガードになり、道も踏み外してゆき、典型的な昭和の暗黒武術家の平成版となりました。
昔話を聴くと、壮士や復員兵の中に、こういう人たちが沢山居たと言います。
友人から聴いたある先生は、刀を持てば動けるものの、全身古傷だらけで平時はまともに歩くことも出来なかったと言います。
そこから立ち直ることが出来たのは、それよりもなお闇深く歪曲した現代日本社会のとそこに住まう人々の姿に気が付いたことが一つ。それから師父に出会えたことが一つです。
自分がなぜそのようになったのかということを自覚し、そうではない生き方を送るための思想と手段として、老荘と気功を学ぶことが出来ていなかったら、あのまま闇の中に堕ちて行ったことでしょう。
今頃は骨壺の中か、刑務所にでもいたかもしれません。
人間が自由な命のままに生きると言うことを仕込んでいただいて、本当に生き方が変わりました。
その生き方を基に歩んで、世界を旅して学んでくることが出来ました。
こうして幸せな毎日を暮らせているのは本当にありがたいことです。
ここに至って、やはり自分の強弱などには興味はなく、ただ世界の姿に触れたい、真実の中で生きていたいということだしかありません。
大きく迂回した危うい道でしたが、基のところに戻ってくることが出来たように思います。