五祖拳の、新しい套路の伝授が始まりました。
これが、驚くような物でした。
まぁ毎回驚かされるのですが。
前回までは、五祖拳は形意拳っぽくなっていました。
ですので、あぁなるほどな、五祖拳はやはり形意拳ぽくなるんだな、と思っていました。
福建系の南拳はまっすぐに進んでいると思われがちですが、この段階になると実はまっすぐと見せかけて斜め前に進んでいます。
相手に対して斜めにすれ違うように入ってゆくという、形意拳の十二形に見られるような動作になっています。
というか、丸々十二形と同じ動作がちょいちょいあります。
ここで納得していたのですが、今回の段階では心意が入ってきました。
いきなり吊馬、北派で言う処の虚歩ですか、に歩形が変わったなと思ったとたん、心意の看板技、鶏形ではないですか。
五祖拳ではこれは、鶏ではなく牛だということになっていますが、やってることは同じです。
要訣としても「草を払う」のだということ。
これも心意と同じです。
こう考えるとやはり、西側の地域で発展した心意拳が少林に入り、南進して南派の骨格に入っているという説は事象として確認できるように思います。
これは蔡李佛拳でもしかりで、高級段階に入ると形意拳の套路と心意拳の套路があります。
ちゃんと歩形も三体式と鶏歩になります。
本当の中国武術を知らないほとんどの人には知られていないことなのですが、中国武術で重要なのは歩形です。
これで構造の系統が分かる。
基本は弓歩と馬歩。
これが無い物は本当の武術ではないと偉い先生が公言しています。
ですので、たんなる防身術だとこれらはありません。
だからこそ、長い年月の肉体の強化や精神の鍛練無くしてとりあえず身を護るという用をなす。
門前の小僧習わぬ経を読むというようなもの、傍門という物です。
また、西洋格闘技のステップをしてしまう自称中国武術修練者も居ます。
それも一発で「バレる」瞬間です。
まだ中国武術に至っていない。理解するための準備が出来ていないからピョンピョン飛んでしまう。
ブルース・リーは長い年月をかけて正伝を得た一握りの者にしか理解が出来ないという中国武術のしきたりを憎みました。
だからこそ、誰にでも出来る武術を求めて自分の体系をデザインしました。
その過程で、基本功を否定し、立つだけの練習に三年も費やすなど無駄だ、と断言して西洋式のステップを取り入れました。
彼の生涯のテーマが、功夫からの離脱であったことは「ブルース・リー・ノート」や「ジークンドーへの道」を読むと繰り返し描かれています。
それくらいに、足がちゃんと門派の物になっているということは重要な根幹です。
そして、心意拳類である心意拳と形意拳は、馬歩と弓歩をさらに乗り越えたところから独自の歩形である鶏歩と三体式に至りました。
ですので、他の門派が馬歩と弓歩の長い鍛錬を経て、高級段階に至ったときに突然歩形が変わって心意拳類の手形を使い始めるということは少林武術に伝わる、心意把の伝播の痕跡であるとみられる訳です。
と言う訳で、五祖拳でその段階に触れられたことは大変な驚きなのですが、さらに驚いたことがありました。
その後、今度は典型的な広東南拳のような動きが入って来たことです。
それまでは五祖拳には、大きな弓馬などほとんど出てこなかった。
これには大変驚かされました。
いまの私にはまだ、この套路の構造が伝えてくるメッセージは読み取れていません。
しかし、いずれ全套を教わり、体得する過程では見えてくる物があることでしょう。
拳を学ぶということはただ反復運動をすることではないと思っています。
それを通して古人の教えを受け取り、咀嚼して身に着けてゆくということでしょう。