ソローの「森の生活」を読みたいなとパンデミックに入ってから思っていまして。
というのも、ソローは前の世界が造られた時に、そこに疑問を持って社会から隠棲して外側から世の中を見ることで歴史に名を残した人だからです。
彼自身は偏屈物でチャーミングな変人と言った感じで、生活費を淡々と描くような日記として「森の生活」を書いているのですが、この書は現代資本主義の根幹を指示した名著として読み継がれています。
私自身は、隠者を標榜する身としても彼に興味がありましたし、COVID以降のパラダイム・シフトの中で彼のようなスタンスで過去を見直すことで、これからの世界の観方の参考になると思った次第です。
しかし、世の中を離れてひっそりと隠棲するというのは、彼の時代と現代とではだいぶ違うのではないか、という意見は当然出ますでしょう。
いま同じことをしたら税金の問題で偉いことになる。
心配ご無用です。
当時もちゃんとなってます。
作中、税収の問題でソローは投獄されています。
昔から隠棲は社会において普通に反社会行為として認められていませんでした。
それでも彼はどうにかだましだまし三年の月日を、勝手に森の中に建てた小屋の中で過ごし(不法占拠ってことですよね)、人間は社会による再分配が無くても暮らしてゆけるということを示してゆきました。
彼の元には近所の様々な人が通りすがりますし、彼自身も毎日近所の町に買い物に行ったりします。
全然物理的には隠者じゃない。
そういった人付き合いの中で彼は、近くの養護院に暮らしている知的障害のある人と話し、彼が「自分はバカなのでよくわからないのですが……」と話す言葉をもっとも賢い人間の言葉であるとして取り上げています。
また逆に、他の人たちと同じように暮らさないと幸せになれないと決めつけて貧しい暮らしにあえいでいる移民に対して、彼はそんなことはないと説くのですが、結局はまったく話が通じないという逸話も取り入れています。
後者の逸話にはちょっと背景の説明が要るかもしれません。
当時のアメリカと言うのは、土地の所有と言う概念が出来たばかりでした。
メイフラワー号に乗って東海岸から移住してきたWASP(アメリカ貴族)の人たちは、南部を産業地帯として確保しました。
東海岸側は移住のスタート地点として発展して行ったので、産業革命による工業化は東側から進んでゆきました。
そのために、開拓地とされていたのは西側によっていたのですね。
それらの荒れ地には、東ヨーロッパ、旧ソ連領などの国からの後発の移民の人たちに残された土地でした。
これらの土地を農地として棲みついて五年経てば、その土地は住んでいる人の物となると言う、墾田永年私財法のようなことが行われていた訳です。
そして、旧ソ連領から来た人たちと言うのはつまり、食い詰めた農奴の人たちなので、荒れ地を耕す以外の人生を知らない人たちなんですね。
そこで、0から資本主義に触れた人たちと、ソロー先生との対話と言う物が生まれる次第です。
この、時代の変化(パラダイム・シフト)における一人の気骨ある学究の生き方として、私は非常に彼が気に入りました。
梨木果歩の小説に出てくる青年のような好感が持てます。