以前に、鍼医者をされている師兄に教えを乞うた時に、肩に一本打ってもらいました。
その時、「旋捻刺法?」と訊かれたたのでそれを習っていると答えたところ、捻じりながら鍼を刺してもらえました。
これが、私が初学者として教わっている鍼を捻じりながら刺してゆくという手法です。
他にはどのような刺し方があるのかと言うと、送り込み手法というものがあるのだと先日教わりました。
まだできなくていいよ、と参考までに教わったのですが、これは捻じらずにスルスルと相手の身体に鍼が飲み込まれてゆくように送り込むという手法です。
私たちが使っている鍼は髪の毛程度の太さで、銀で出来ているために大変しなります。
これを時には頑丈に凝り固まった厚い肉に差し込んでゆくのですから、非常に難しい物になります。
教わったときは当然出来るはずもなく、なんて難しいことを先生方はしているのだろうと途方にくれたのですが、どうやら私も先日出来るようになり初めてきました。
教わったときに、力を抜いて重みを伝えるだけだ、と言われたのがキーになったようです。
なにせ中国武術は放鬆、つまり力を抜くことが大好きです。
ただ、一般の人が想像していることと違って力を抜くと人間の身体と言うのは驚くほど重くなるので、むしろ力が強くなりすぎることが多い。
その力で人をぶっ叩くには良いのですが、肉に柔らかい鍼を刺すとなると、鍼が負けて曲がってしまいます。
ですので、脱力の他に別の要素が必要となるので難しい訳です。
それは恐らく、ここで何度も書いている借力の要素であるかもしれませんでした。
あるいは周りで働いている力を感じる洗髄の功かもしれない。
送り込みの要領を感じ始めた一歩目は、ある時にパッケージから銀鍼を出した時でした。
いつもより、鍼が太く頑丈に感じられたのです。
あれ、間違えて違う鍼を出しちゃったのかな? と思ったのですが、私は他の種類の鍼など持っていません。
パッケージの表記を確かめてもいつも通りの物でした。
それがいままでの頼りない感じとはまったく違って感じられたのです。
その時から、肉の中に鍼が入り込むという感覚を覚えるようになりました。
人の身体を借りて練習した時に、不意に相手の肉が豆腐のように感じられたことをおぼえています。
するとそのまま、鍼がすとんと、まるで相手の細胞に抱きしめられたように沈んでいきました。
これは非常に面白いことです。
別のたとえをするなら、これは房中術の感触に近い。
気功の観点から性交をする訓練をしていると、皮膚が相手と柔らかく協調して溶け合い、吸い付くような感覚が得られます。
そのように、相手の肉が解けて自分を吸い込んで行ってくれる。
相手の自分の力の陰陽が調和された結果だと言えましょう。
非常に面白く、満足を得られました。
中国武術で言うと、点穴というのは発勁より高級技法に置かれることが多い。
それは、相手の穴所に力を浸透させることが難しいからです。
そういったことを学びたくて鍼を始めた甲斐がありました。
と、喜んでいたのですが翌朝になって気が付きました。
これは単に、道具の遣いが巧みになっているだけのことです。
それではいけません。
鍼を使わずに、手でその高級技法が出来るようになったとしても、やはり手わざの高手になったにすぎない。
そういった物質の段階はあくまで段階であり、私が求めることの本質ではないはずです。
履き違えてはいけません。
あやうく目の前の成功に浸って魔境にはまってしまいました。
大変にうかつでしたが、自分で気づいて抜け出すことが出来て良かった。
私が求める処はその先にあるはずです。
天に通じて、人々を救うことが出来るところを本質として求めてゆかないと。