現在、老師から基本の拳として弾腿を教わっております。
この拳は査拳と合わせて査拳弾腿と呼ばれることがあったりします。
また、それらを含めて長拳と呼ばれることが多い。
こと、花拳縫腿の表演武術と混同されて侮られることが多く、また「まだ基本の長拳なんかやってるのか」とその手の表演武術(?)家が見下すのを聴いたこともあります。
このように非常に誤解をされている分野の物だと感じるところがあり、私としては遺憾の思いです。
おそらくは、本物の伝統武術家で、長拳を侮る人は居ないことでしょう。
中国武術の歴史を見れば、ところどころで易姓革命や騎馬民族との抗争の折に、長拳の名前が現れます。
そのような武術の名を貶めた表演武術の罪は重い。
かように不遇の長拳ですが、私が教わっている弾腿のことをいま少し述べますと、この拳は元々弾腿門と言う一つの門の物であるというように聴きます。
それが広まって多くの武術の中に取り入れられ、多くの門派の基本として定着した、というのが歴史的経緯だと言われています。
この弾腿を基本として活用している門の代表が査拳門で、そのために「査拳弾腿」の言葉が定着したとのお話もあります。
なるほど確かにこの査拳を見てみると、弾腿を基により複雑にした拳のように見えます。
この査拳弾腿、またの名を「教門長拳」と呼ばれるそうです。
これによって、査拳や弾腿が「長拳」であるという認識が広まったのでしょうね。
教門とは仏教や道教のことではなくて、イスラムのことです。
ですので、イスラム教徒のことを回民とも言います。
回民と言えば回族武術が極めて高いレベルの物で、中国武術全体のレベルを引き上げた存在だと言っても過言ではありますまい。
武林に名高い通背(通臂)拳、八極拳、心意六合拳などはみな回族武術です。
技撃で名高い馬氏もまた回族、国術館で有名な王子平師などはまさに弾腿の武術家です。
武術研究家の黄新銘先生は、回族武術は長拳の段階、通臂拳の段階、八極拳の段階、心意六合拳の段階と繋がっているとの研究結果を発表されています。
確かに、査拳において弾腿から査拳に移行するということは間違いがないようですし、老師が教えて下さっている私の弾腿もまた、通臂(通背)に移行するための基本拳として機能しているようです。
私は八極拳はまったく素人なので内容に関して何も言えませんが、一説には査拳の形式から八極拳の形式は出来たというお話があります。
また、心意六合拳に関して言いますと、弾腿の看板である「寸腿」、常に一尺以下の高さの蹴りを伴って歩くという構造は、心意六合拳と共通している物だと言えます。
この寸腿=歩法の部分を追求してゆくと、私がかつて教わった心意六合拳の段階に至ることには納得がいきます。
なにせ心意六合拳というのは「歩歩不離歩」と言って歩くことそのものに力を求めてゆく武術ですので。
心意の基本となる練功法、鶏行歩はある意味、弾腿である、とも言えるように思います。
面白いのは、心意六合拳が漢化した物だと言われている、同じ心意拳類の形意拳の手業には、弾腿の手業との共通性が多く見られるということです。
これはやはり、弾腿の発展、昇華の末であると言えるのではないでしょうか。
老師は弾腿の要点の一つとして、馬歩と弓歩という下半身の確立を教えてくれました。
いわば変化し、動く站椿としての武術です。
これが出来れば、後は馬歩と弓歩を折衷したエポックメイキングな立ち方、三体式に置き換えれば弾腿は形意拳になります。
私が教わっているのは通臂(通背)系の門の中での弾腿ですので、同じ弾腿だと言っても他の門の物とは違ったものとなっています。
通臂の基本が一路ごとに入っているのですが、これが怖い。
ほとんど普通に通臂拳じゃん、というくらいにもろに実戦的です。
別にそれだけやっていても十分なくらいに完成された弾腿なのではないかと感じるところがあります。
実に味わいのあるよい拳法です。
台湾の有名な武術団体Bの看板師父であるJ老師は「長拳は完成されている」と言われていました。
J老師のグループの長拳は非常に重視された物で、現在国内で刊行されている書籍もそこの系統の物です。
J老師と言えば、八極拳の他に劈掛拳で知られており、また陳式太極拳でも高名でした。
このJ老師が、劈掛拳は八卦掌と同系の武術なので、どちらか片方やれば両方を学ぶ必要はない、とかつて誌面で言われていたことを覚えています。
また、陳式太極拳にしても、その原型には通臂、劈掛拳系の武術があるとも言われています。
そう考えるならば、長拳→通背(通臂)拳の構造と言う物が、現在知られている多くの武術にどれだけの共通性を持った物であるかということが偲ばれるという次第です。
この構造の部分をしっかりと学べるということは、中国武術を学ぶ身として非常に幸せなことでしょう。