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長拳の文化雑感

 前回書いた弾腿のルーツは査拳と共通だという説についてちょっと書いてみましょう。

 この説のソースは、1983年に香港で出版された、馬振邦という先生の「十路弾腿」という本だそうです。

 査拳の祖は査密爾という人で、明代の拳士です。

 新疆ウイグル地区の回民(ウイグル人)で、明朝の命によって倭寇征伐のために東海に旅立ち、その途中に立ち寄った山東省で武術を伝えたとされています。

 この時に査先生が伝えたのは査拳と呼ばれたのですが、後に山東の人々がそこから抽出して作り出した物が弾腿だという説が上述の書には書かれているそうです。

 また、この説とはちょっと両立が難しいかもしれないお話なのですが、倭寇退治の戚継光将軍が編纂した武術書「紀効新書」の中の「拳経」に書かれている「山東李半天之腿」と言うのが弾腿ではないか、というお話もあるようです。

 いずれにせよ、弾腿査拳説を取るなら、この武術が海賊武術である、ということが可能であり、またそうでないにしても、弾腿が中国最西の新疆から東の端の沿岸部にまで渡って伝播した武術であることは間違いなく、中国武術の伝播ルートを一つ確立した物であることもまた間違いないと言えましょう。

 この新疆ですが、すぐ北はロシアであり、西側にはモンゴル、カザフスタンを初めいわゆるスタンの国々と隣接しており、さらには南側はインドに接しています。

 騎馬民族の武術の中華への浸透、およびその後のロシアへの武術の伝播という意味を考えても実に興味深い地形です。

 また、初期イスラム教徒のインド人による武術の伝来が影響していると言える可能性は極めて高いように思います。

 実に面白い。

 さらに。

 この地域はシルクロードの主要ルートの一つであり、英語の古文書では「トルキスタン」と書かれてるそうです。

 トルキスタン。以前も書きましたが、トルコ人の地、という意味です。

 トルコと言えばこの間から書いているギリシャ文明アジア説における重要な国となります。

 つまりは、古代ギリシャにおけるケンタウロスたちの土地だと想像できるのですが、だからと言ってヘラクレスが現存するトルコ由来の武術を使っていたと結論するにはあまりにも時間が空きすぎているのですが、逆に言うなら今も残る弾腿の中には、古伝に由来する部分がなにがしかある、かもしれません。

 まさに、アジアの身体文化、中国武術の伝来について研究をしている私にはたまらない武術である次第です。

 あー、いいなー。トルコ。

 そこからさらにギリシャまで行ってみたい物です。

 とはいえ、それら地域の武術にどんどん入門して奥にまで至って全体を研究してゆくということをするには、人間の命はあまりに短い。

 私は仏教圏だけに限定をしていますので、弾腿は自分の人生においてもっとも西にまで進んだ武術だということになることでしょう。

 その先のインドやトルコの研究は、後を引き継いでくれる若い研究者の登場に期待をしたいと思います。


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