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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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タイタンの戦いと逆襲

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 ギリシャ(=半ばトルコ)の研究の繋がりで、リメイク版の「タイタンの戦い」二作を見直しました。

 これは子供の頃に観て「ギリシャおもしれー」とプルプル震えていた、レイ・ハリーハウゼン先生の「タイタンの戦い」のリメイク+続編ですね。

 一作目の方は、ハリーハウゼン版でやっていたことをおおむねなぞっているのだけれど、続編の「タイタンの逆襲」ではその続きが描かれます。

 そしてこの続編の方で、ようやくタイトルにある「タイタン」が登場します。

 てことはもしかして、オリジナル版も続編がある企画であのタイトルにしたのだけれど制作されなかったのかな?

 続編が作られるてちゃんと話がまとまったので、これは良いリメイクであるように思いました。

 面白いのはちゃんと、ギリシャ神話の根本的な考えである「神々は人間の信仰心をエネルギーに生きている」という設定がお話に直結しているところ。

 これがあるがために神々は人間に恵みを与えたり、災害を与えたりして畏敬を徴収するのだけれど、この事実が明確な物となっていて、物語の中では人間側が神に力を与えないように祈祷をしないようにしている。

 そういう、神々が滅びゆきつつある時代の物語ってことになっているんですね。

 ゼウスの(例によって)私生児の主人公、ペルセウスはそのような信仰不景気の中で、まずは英雄として人々の称賛を集め、後にオリンポスに上がって神になることで信仰心のエネルギーを集める存在になることを父から期待されています。

 もうほとんど政治の話ですね。

 ペルセウス自身はこの政局に関心が無くて、地方の漁師としてひっそり暮らしていれば満足だと思っているのだけれど、たまたま漁場で通りがかったアルゴスで兵士たちがゼウスの神像を破壊して、これからは信仰の無い世界を作っていくんだ、という活動をしているのに巻き込まれてしまいます。

 古代ギリシャと言えば民主制。つまりこれは、王権神授制とか宗教制から民主主義への移行という、デモクラシー運動をしている訳です。

 しかし、相手が神様として具体を持っている以上すんなりとはいかずに、アルゴスの宮殿にハデスが乱入、彼らを血祭りにあげて国を呪い、信仰心を強奪しようとします。

 またハデス悪役。

 本来は、ただ運が悪くて冥土の王様にされただけで、彼は能力はゼウスと同等、しかも誠実で真面目と言う物凄く良い神様のはずなのだけれど、えてしてその死という不吉なイメージと真面目な人が多くの人は嫌いだというためか悪役にされがちです。

 死は秩序であり、平安でもあるので古代ギリシャではすごく信頼されていた神様だそうなんですけどもね。

 という訳で、ハデスが去った後にペルセウスは「神の子ならば何か出来るだろう」と呪いを解くための任務を押し付けられます。

 そうして有名なペルセウスの冒険が始まりとあいなります。

 つまり、メデューサの首を獲り、クラーケンを倒してアンドロメダを助ける、と言う流れですね。

 面白いのは、この冒険の途中、常にペルセウスは親の七光りを嫌って神の力を使おうとしないんですね。

 神々の手先にされて彼に倒される悪役も彼に「ペルセウス、神にはなるな」と言いながら死んでゆく。

 つまり、諸悪の根源は全て神で彼らの自作自演だからその黒幕側に加わることは良くない、という話になっているんです。

 ほとんど世界情勢への当てこすりのようなお話です。

 もう一つ面白いのは、最終的にアンドロメダを助けても、神話と違ってペルセウスは結婚しないんですよ。

 これはどういうことかというと、二作目で意味が出てきます。

 二作目では彼女は、旧来の神々の強権を覆そうというアルゴスの女王として登場するんです。

 これ、ヒラリーさんなんかのことがかけてあるんですかねえ。

 あるべき民主制のリーダーとして、自ら兵を率いる勇敢な女性として登場するんですね。

 で、このようにして世界が改革されると、マズいことが起きるんです。それに対処するのがこの「タイタンの逆襲」なんですけれども、つまりですね、元々オリンポスの神々と言うのは自分たちの父親の世代であるタイタン神族を倒して権力が新陳代謝した結果、世界を支配しているんですね。

 それがオリンポスの神々が弱体化してゆくと、この彼らの権力で地下に抑えつけられていたタイタンたちが盛り返してくるんですよ。

 まさに政治。

 巨悪の権力は巨悪でそれなりに問題を対処しているので、単純に巨悪を倒すと抑えつけてた問題が浮上してくるので、今度は新しい勢力がその世話をしないといけなくなる、というお話なのです。

 物語の中では、実は前作で悪役を買っていたハデスがゼウスを追い落として成り代わろうとしていたという陰謀を企てていたということが描かれています。

 さらにはこの陰謀を加速しているのが、ゼウスに見放されて後継者とされていないアレスなんですね。

 出た、ギリシャ神話1の嫌われ者、真の悪役の神。

 このアレスが、同じく冷や飯食いのハデスとつるんでオリンポスへのクーデターを企てていたという訳です。

 しかし、ゼウス一人追い落とせばそれで良しと言う訳にはいきません。

 オリンポスの権力機構そのものを滅ぼせば、ハデスアレスにも権力の地盤が無くなってしまう。

 ではどうするか、というと、ここでタイタンですよ。

 彼らはタイタンを味方につけてオリンポスに成り代わろうとしていた、という訳です。

 一応言うなら、オリンポスの神々と言うのは理性や哲学、貴族性などの人文系の価値観に則った人達です。

 だからこそ、その配下の古代ギリシャ人たちが哲学の世界を運営していた。

 しかし、タイタン神族というのはもっと以前の野生の神さまで、野生そのもの、服なんかきてないし意味なく感情任せにあばれまわるような、公正さとか論理性とかはないんですよ。

 なんで、人類が神々から自由になると、今度は自分たちを守っていた彼らの庇護なく全力で人類を殺しに来る生の野生の自然と戦うしかなくなるんですね。

 これホントに、既存の権威と改革の間のお話ですよね。

 映画の中では、ハデスアレスが力を貸したこともあって、オリンポスの神々はどんどん滅びて消滅してゆきます。

 作中語られているのですが、信仰心を失った神々の死は消滅なんですね。

 ボロボロと崩れ去ってしまう。

 最後に残ったのは、ハデス、アレス、ゼウスの三柱だけになってしまいます。

 その中でペルセウスはアレスと怠慢、例によって悪くてやられやくのアレスを殺してしまいます。

 ハデスはことここに居たってゼウスに説得され、結局神々の世界を滅ぼしてしまった自分の失策を認めます。

 そんな中で襲い来るタイタン神族。

 ハデスとゼウスの兄弟は力を合わせて彼等と戦って人類を守りながら死んでゆきます。

 その加勢有って、ペルセウスはタイタンの神を駆逐、人類の世界を切り開くことになった、というお話です。

 これは、2010年代に作られたシリーズだけあって、世界を改革しようというメッセージにあふれていると思われます。

 史実で言うならば、神話が終わって歴史が始まってからの古代ギリシャと言うのは民主制が行われた世界、ということになっています。

 これは、そういった権威主義の支配を民主制に変えてゆこう、というお話だと言える訳ですね。

 ただ、ジェンダーに関するポリティカリティ・コレクトネスは素晴らしいと思うのですが、そのアンドロメダがエチオピアではなくてアルゴスの女王だとされているのは、黒人種の女優さんでは映画がその場所に配役されていると映画の撮影に不利が生じたということだったのだろうか、とも考えさせられます。

 もしこの映画から10年後のいまなら、ここは問題になって黒人キャストに変えられていたという気もするのですね。

 それだけの進展がこの10年の間にはあったと、そういうことではないでしょうか。

 やはりね、確実にCOVIDをきっかけとしたパラダイム・シフトが強烈な力を持って世界を変えていると言えると思うのです。

 我々も神々と戦った人たちのように勇気をもって、信仰や権威主義から脱却して自らの手で世界の改善を推し進めて行こうではありませんか。


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