先日、映画「さかなのこ」を観覧してまいりました。
さかな君さんの自伝を映画化した物を、女性の俳優であるのんさんが演じるということで話題になっていた作品です。
私もまた、そのジェンダーをクロスした部分に意識を惹きつけられました。
もともとさかなクンさんに関しては、自分の人生のような、好きなことだけやっている→大学の先生というルートの偉大な先人としての関心がありました。
しかし、それだけで劇場に足を運ぶまでに至ったという訳では決してありません。
この映画をラジオで宣伝している時に「普通のことが苦手だけど好きなことにはまっすぐな少年が~」というようなことを語っていまして、そこが非常に気にかかったのです。
さかなクンさんに関してものすごく正直に言いますと、彼が最初にテレビに出てきた時には「これは出しちゃいけないタイプの人なのでは……」という感想を持ちました。
80年代までは、タコ八郎さんのように本当に脳に障害を持った人をテレビに出してそれをみんなで笑うというようなことが行われていました。
さかなクンさんには、一目見て発達障害を思わせるところがあり、彼の学者としての天才性ではなくそのキャラクター性をタレントとして消費をすることには危うさを感じたのです。
しかし実際には、彼の扱われ方は思ったよりもずっと正統な物で、常にそのキャラクター性よりも魚類の専門家と言う部分がフィーチャーされていました。
ファースト・インプレッションこそ文字通りギョッとさせられるところがある物の、イヤミの無い真摯な専門分野への取り組み方を見せてもらって、私たちは「あぁ、この人はこうだけどちゃんとした人だから、私たちもちゃんとした人と扱って間違いはないんだよな」という方向におずおずと向かうことが出来ました。
やがて彼が学会で評価され、本物の学者であるということになってくりとより「この人はとっつきは変わった人に見えるけどちゃんとした学者さんなんだからちゃんとした人として受け止めればいいんだよな」という方向に気持ちを据えることが出来るようになってきたと思います。
また彼自身も、そういうタイプでいままでどうだったの? という大部センシティブな質問に対して「ぼくはこうでもいじめられたこととかないんですよ。魚釣りとかしてたらみんなもおーい、魚の釣り方教えてくれよとか言ってくれて仲良くみんなで遊んでたんですよ」というように答えていました。
そのために、私の中では彼は、見た目はアタックが強いけれどもちゃんと周りに受け止められてまっすぐに生きてこれた人、という認識がありました。
偏見をもっちゃいけないな、と思わされた次第です。
しかし、そこで映画のCM。
やっぱり普通のこと苦手だったんじゃん!
変わり者だけど秀才で蹉跌なく学問の世界で成功した人とかじゃないんじゃん。ということになって、これは平素から発達障害や人の生きる道というものに物として、またある種のアウサイダー・アカデミズム的な学徒として学ばせていただこうと劇場に足を運んだ次第です。
つづく