いまでこそ、懸垂は瞑想だと興味を持って取り組んでおり、YOUTUBEで懸垂動画を頻繁に鑑賞する私ですが、昔は懸垂が好きではありませんでした。
理由の一つとしては、格闘技のジムで腕立てなどの押す力は鍛えさせられていたのですが、鉄棒をするという習慣が無かったことがあり、また古武術では押す力をどう使うかがポイントになっており、引く力は力んだ力として嫌われていたことがあります。
しかしそれだけではなくて、私自身が懸垂をした時に、どこに効いているのかが分かりにくかったということがあります。
一回目はなんでもなく上がるのに、二、三回やると突然同じことが出来なくなる。
しかも、どこがパンプしているというような手ごたえが無い。
なんだか意味不明に力が失われて出来なくなるというのがやりがいを感じられなかったのです。
いまにして思えばこれこそが、キャリステニクスの大家、ポール・ウェイド先生の言う「チェーン」のお話なのでしょう。
上腕二頭筋、とか大腿四頭筋、というようなピンポイントに聴かせるトレーニングではなくて、連続して活用されている筋肉のチェーンを総合的に使うというのがウェイド先生が主張するキャリステニクス(自重トレーニング)の優越点です。
いわゆる「筋トレで鍛えた筋肉は使えない筋肉」という雑な言葉の背後にあるのは、このように筋肉をチェーンとして使うか部分で鍛えるかの違いであるという気がします。
現在では昭和の頃には部活で語られることも無かった筋膜の研究も進んでおり、足の裏から後頭部までの筋肉を繋げる組織があるということも分かってきているようです。
そう考えるとやはり、ポイントではなく連続した力の流れを鍛えるという方向性は正当であるように思います。
効率が悪いというのはあるいはあるかもしれません。
見た目にもアプローチしづらい部分があることも考えられます。
実際、キャリステニクスは無意味だからジムに行った方が効率がいいという話があります。
しかし、このような全身運動は独自の健康効果があり、また関節への負担が集中しづらいという利点もあります。
実感がつかみにくい部分はあるかもしれませんが、私はこちらのトレーニング方法に十分な価値があると思っています。
まぁ、確かにウェイトをやってジョギングをするというタイプの人には、あまり必要ないかもしれないんですけれどもね。
しかし、瞑想的なアプローチとしてはやはりキャリステニスが一歩秀でているかなあ、という気はします。