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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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チベット仏教と気色の悪い話 5 注・閲覧注意

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 川口慧海法師が行った時代のチベットでの食事と言えば、主に麦焦がしと言われる炭水化物製品とバター、ヤクや羊の肉だったそうです。

 まじめな仏教僧である慧海法師はチベットでは僧までもが妻帯をしたり肉食をしたりすることを非常に嘆いていますが、食料の乏しい土地なのでこれは仕方ないのでしょう。

 彼らは常にお茶と酒を交互に飲んでいたとも言いますので、恐らくはモンゴル人と同じく、野菜が採れにくい場所でのビタミン源がお茶だったのでしょう。

 なにせ、普通の家の食卓では高価すぎて大根も手に入らないとの描写がありますので。

 さて、ここで疑問なのです。

 ヤクや羊を食べられるのはいつもではありません。

 こんな、麦を練って焦がしたような物を食べたりバターを溶かして摂取しているばかりで、果たして本当に生存できたのでしょうか。

 ここがポイントです。

 慧海法師が曰くには、手を洗うことを厭うチベット人たちは、垢だらけの手のまま麦を練って麦焦がしを作るのだそうです。

 必然、麦の中には彼らの手の老廃物が練りこまれていることになります。

 これを彼らはパクパク食べてしまうのだと言うのです。

 ここにまた、常在菌の交換が見られます。

 どころか、遺伝子そのものを摂取しあうと言うか、ほとんど人肉食の風習があると言ってもいい。

 これは、私の一方的な憶測だとは言いません。

 なぜなら、彼らの食人文化について法師は明文化しているからです。

 チベットと言えば、鳥葬が有名です。

 この鳥葬、万物は土水火風で出来ているために死ねばこれを返すという考えで行われているらしくて、風に返すということをコンドルに食べさせると解釈して行っている風習だとあります。

 しかし、人間には堅い骨があり、それに包まれている髄や脳はそのままでは食べさせられません。

 ではどのようにするのかと言うと、ちゃんと葬儀人が作業をするのだと言うのです。

 骨は石で砕いて内容物を出し、脳などは石を掘って作った台の中に流し込み、そこに小麦を流し込んで練り上げて団子にして鳥に食べさせるのだというのです。

 人が食べている麦焦がしと変わらない。

 さらには、この作業の最中に人間側も食事を摂ったりするのですが、この時も当然手を洗ってから食べません。

 ご遺体の脳や血が手に着いたまま、麦焦がしを手づかみにして食べるのだと言うのです。

 さすがに慧海法師がたまげて注意をすると逆に、これが味付けになって旨いのだ、そんな気の弱いことでどうするのだ、と言われてしまったと言います。

 そこで法師は、仏教法話にはチベットは元々羅苦叉鬼(ラクシャーサ、羅刹のことだと思われる)の国だと言われており、人食い鬼の末裔の国だと言われているだけのことはあって、いまでもこのように食人の文化が残っているのだ、と書いています。

 つまりは、ここにすべてが要約されるのではないでしょうか。

 当時、万能の秘薬として法王の便を丸薬とした物が尊ばれていたと言います。

 やはりここにも、人のDNAや体内の常在菌を摂取して我が身の益となすという価値観があるように思います。

 このような習慣のある土地で、アジアのハードコアな身体文化と言うのは発展したという訳です。

 チベットのヨガ行などは、さぞや我々には想像もつかないことまでをも研究していることだと思われます。

 インドにもまた、墓地で修行をするハードなヨガの一派があり、彼らは悟りを得る行の一環としてご遺体を食すると言います。

 このように、近代化された西洋式の思想に洗脳され切った我々の既成概念からは、想像を絶するようなことが、本来のアジアの文化の中には伝わってきているのです。

 中国医学には同物同治という考えがあり、身体の弱った所や悪いところを補うためには、そこと同じ物を食べれば栄養素がそこを補って回復させるとされてています。

 そういう意味で言うなら、人の命を養うための究極の同物同治は必然、人間そのものということになります。

 日本にも人の肝を薬として求めた安達ケ原の鬼婆の話などがありますが、あれも元々はこのような地域から伝わってきた仏教法話だったのではないでしょうか。

 インドの屍食行者も同様の考えで、自分の人間としての能力や霊性を高めるために人間一人分以上のパーツを吸収するのだそうです。

 パプアニューギニアの部族に伝わる食人の儀式もまた、死者の霊を自分の身体の中で活かすために敬意をもってご遺体を食べると言います。

 実は私も一度だけ同じことをしたいと思ったことがありました。

 私を育ててくれた祖父が亡くなった時に、焼き場のお骨を一片食することで、自分の命の中に祖父の何かを取り入れて、共に生きて行って欲しいと感じたのです。

 実際は隙が無くて焼いたお骨から一つまみ掠めとることはできなかったのですが、人の中の古い欲求には、あるいはこのようなシャーマニズム的な物があるのではないでしょうか。

 そしてその根源には生物は遺伝子の箱舟であるという説にあるような、遺伝子が人の身体から人の身体へと渡り継ぎながら自らを延命させてゆくというような作用があるのかもしれません。

 これは、霊肉一致を説くとアジアの身体哲学の観点から、非常に興味深いお話であります。

 


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