先日、生理学の教授から、歩くと走るの違いは何か、と問題を出されました。
走ると歩くでは、カロリーの消費量が倍違います。
それを基に距離と時間から消費カロリーを算出することが生理学では出来るのですが、ではそもそもの両者の違いは何か、ということです。
正解は、歩くと言うのは足が常に地面についているということで、走るというのは両足が地から浮いている瞬間がある、ということでした。
これは身体の使い方の面から見て面白いことです。
これで言うなら日本古武術と言うのは走りながら行うことが結構多いと言えます。
剣道のようなスキップは幕末の北辰一刀流から生まれたと言いますが、あれは当時の竹刀剣術においてはメチャメチャに強い必殺のテクニックだったそうで。
オーソドックスな古武術では、現代の概念からすると決して推奨されていない、足を交差させて歩くことがよく使われています。
それと比べるとこの、ジャンプしながら戦う=走りながら戦うというのはエポックメイキングだったのでしょう。
歩くタイプの古武術でも、必殺技としてジャンプすることがあるようです。
これはまさしく隠し玉で、常識では考えられない不意打ちの必殺技として使われていたと聴きます。
そう考えるならば、剣道式スキップ戦法は必殺技のつるべ打ちだということでしょう。
私を育ててくれた明治生まれの祖父は、かけっこのことを「とびっくら」と言っていました。
おそらく我々の世代では、走ると歩くの違いを説明しろと言われると言葉に詰まるくらいに、両者の違いは分からなくなっています。
しかし、明治までは我々が走ると読んでいる行為は「跳ぶ」であって、歩くとは全く違うこととして認知されていたということが読み取れます。
そういえば「江戸時代の一般人は走ることが出来ない」というのは新古武術のそもそもの原点にあった説でした(確かに走れるのなら鼻緒だけで履物を足にセットしようとは考えづらい)。
つまり、古武術の秘伝の身体操法とは何かというなら、その一つは少なくとも走るということだ、と言えましょう。
私が初段までかじった古武術でも、そのルーツは平民ではなく山岳民族にあって、だからこそ江戸時代の一般人がしないような動きがあるのだということがえらい先生によって言われていました。
ですが、それらはすでに私たち現代人にとっては特別な物ではありません。
誰でもが当たり前に走れますし、山を歩くことも不可能ではありません。
もっと言うなら、泳ぐことだってほとんどの人が出来るでしょうし、自転車にだって乗れてしまいます。
つまり、江戸時代の人達の古武術の秘伝の身体操法のような物はすでに、我々の一般運動だったのかもしれません。
この走るや歩くという視点で言うのなら、蔡李佛では初歩の下半身の練功の段階でかなり特殊に歩くと言うことをしつこくしつこく練習します。
これは洪拳とは共通していますが、他の武術では見たことがない歩き方です。
しかし、不思議なことに上述の古武術では同様の法がありました。あるいは山岳民族の異人というのは明人と関係があったのかもしれない。
また、その歩き方そのものは他の中国武術では見たことがないのですが、北のいくつかの武術では同様の名前で、およそ90度ほど角度が変わった姿勢が伝わっていたりするので、武術が伝播する段階で変化があったのかもしれません。
有名な南船北馬と言うことわざにあるように、北部と南部で足元の環境が違ったからかもしれません。
いま老師から教わっている通臂(通背)拳類の武術では、生理学的に行って走りまわります。
心意拳でも、歩くことを秘伝の独特の勁の根幹としているのですが、用法では走ることがあります。
蔡李佛ではありません。
五祖拳でもない。
五祖拳に実戦の歩法として不思議な歩き方があるのですが、これはやはり、走らないで機動力を持たせるための物だったのかもしれません。
この二つの南派武術では、常に地面に足を付けて力の気を活用できる状態を常時継続しています。
面白いのは、蔡李佛で最初に兵器を習うと、やたら空中に飛び回りまくるのでぶったまげるという特徴があることです。
え、いままで習ってたのと全然違うじゃん、と思うのですが、これは恐らく、兵器そのものに威力があるために身体から大きな力を出すよりも早く当てる方が重視されるためでしょう。
日本武術が刀を中核としていたことを思うと、やはり兵器の威力と飛ぶと言うことの組み合わせが共通していることが分かります。
逆に、お相撲について考えれば決して飛ぶと言うことはなく、南派武術と同じく執拗に地面に繋がって「歩く」ことが根本にあることが分かります。
このように、歴史や国土の制度など、様々な角度から見ることでうかがえることが武術には沢山あるように思います。
文化的視点は非常に重要です。