前回はオードリーたんと呼吸、エネルギーについて書きました。
彼らの身長が思っていたよりずっと大きかったことからの記述です。
しかし、実は12歳くらいの時のオードリーたんの男性ホルモン量は、診断した医師から「80代の老婆くらいしか出ていない」と言われるほどだったと言います。
男性ホルモン量は成長と繋がります。
思春期にこれが分泌されることで、いわゆる生物学的な雄の身体に第二次成長をするというのが人間と言う生物の仕組みです。
この男性ホルモン、テストステロンの分泌が少なかったことで、彼らは自分が他の人たちとは違うということを確信するにつながったようです。
思う処があったのでしょうね。オードリーたんは中学を中退し、自分の生き方を模索する人生に本格的に移行しはじめたようです。
そのための方法として、台湾の少数民族を訪ねる旅に出たというのが面白い。
これ、伝統思想を学ぶために色々な人たちの所を訪ねるフィールド・ワークをしている私からしたらメチャメチャ面白いことですよ。
台湾には、二十の少数民族が居て、それぞれ言葉も風習も価値観も違います。
中には首狩り族が居たりするくらい、多様性にあふれてします。
それらの人々の習慣の中には、我々近代資本主義圏の人たちが染まりきっているキリスト教的ジェンダー観が存在していない人たちのコミュニティーもあるのですね。
そういった多様性の中に入って学んだことが、オードリーたんの世界観を形成したようです。
この辺り、私が取り上げた意味がお分かりいただけるのではないでしょうか。
普段から書いていることと非常に共通しています。
資本主義圏の我々はあまりにキリスト教的価値観に染まりすぎて本質を見失っている。よって産業革命以後の物を考えられない大衆(オルテガ先生の定義による)となっているのだ、という私の論と極めて通じる視点を彼らは持っているのです。
なので伝統思想を学び、自分たちを知ることで本質に通じる生き方を見出すことが出来よう、というのが私の考えていることであり、実践している運動です。
オードリーたん、やってるんですよ。同じこと。
後にオードリーたんは、ドイツの学校に編入したようです。
ドイツと言えば上述の近代資本主義の元祖の国の一つと言っても良い国ですよ。
特に、産業に関しては間違いなく初期にリードをしていた国です。
そこでオードリーたんは、ドイツの中学生たちが台湾の子供よりも大人びていることに気が付いたそうなんですね。
自分で考える力があり、自主決定権を持っている。
これは、成熟した民主主義国の教育で、大衆になることを忌避して物を考えられるようにしようという方針があったということのようです。
伝統アジア思想と成熟した民主主義思想、両方を体で学んだのですね。
これらを二つとして兼ね備えていることが、彼らの価値観の強さの土台となっているのではないでしょうか。
それで、オードリーたんは、そのような相反するような物も含めて、すべては個なのであるからありのままに捉えることを常に語っています。
これは、好きな食べ物はと訊かれて「炭水化物と糖質と脂質です」と応え、あなたの恋愛対象はなんですかと訊かれて「ホモサピエンスです」と答えたオードリーたんの一貫性であるように思います。
この、常に個として意識する姿勢があるからこそ、誰も取り残さない政策をしよう、という思想に行きつくのではないでしょうか。
もちろんそれにはとても高い脳の力と精神力が求められます。
丁寧に物事を認識してゆくには、その両者への負荷がどうしても高くなるので、投げ出したくなってしまう人が多いでしょう。
それが出来るのはやはり、脳力が高く、エネルギーがある人間であるという身体能力に裏打ちされた人間だということになります。
それこそがまさに、オードリー・タンという稀代の天才、ある種の異能力者とも言える人物ではないですか。
そのオードリーたん、自分の思想に関して「道教の影響だ」とインタビューに答えています。
これ、ちょっと注意が要ります。
書籍では道教と書いてあったのですが、私の立場からすればどうも違和感があります。
これ、道教ではなくてタオイズムのことではないか、と感じざるを得ない。
道教と言うのは土着信仰のことであり、タオイズムと言うと道家思想、東洋思想の一派のことです。
両者は17世紀だかのイギリスの学者が初めて西洋圏に紹介をした時にまとめて「タオイズム」と誤解した表記をしてしまったために、現代に至るまで英語では混同されているのですが、まったくの別物です。
いうなれば、同じ聖書から発生したユダヤ教とキリスト教とイスラム教を同じ宗教だと言ってしまうくらいにあまりにざっくりとした表現になります。
今回呼んだインタビュー集には巻末に親切に用語解説があり、政治用語やビジネス用語、科学用語などのタームが解説されているのですが、その中にも道教/taoismと解説があり、基のインタビューではオードリーたんは道教ではなくタオイズムと話していたのであろうことが推測されます。
また、巻末の人物紹介でも、オードリー・タンのことを「老子の思想などに影響を受け」と書いてありました。
やはりタオイズム、道家思想の方で間違いなさそうです。
となると、やはり、だいぶ私が平素書いている思想と共通性が高い。
もちろん、私には無いドイツでの資本主義、民主主義とは何かということを学んだ経験が彼らの半面の大きな要素ではあるのですが。
そのことを確信したのは、本の中でオードリーたんが、産業革命前の生きる姿勢に立ち返って、自ら学び続ける人生を送るということを推奨していたからです。
産業革命が人を社会の歯車とし、社会が規定した経済活動に参加していることが人間の社会的価値である、という価値観を作りました。
そこからは、生涯物を学び続ける必然性が現れません。
なので人々は考えることをやめ、大衆になってしまう。
世界の真実を知り、本物の個としての生を生きることをやめてしまう。
大衆として生きることと個として生きること、これは真反対に聞こえませんでしょうか。
明らかに、現在の世界の最前線の思想は、一つの方向としてそちらに向かっている。
改めてそう感じましたし、オードリーたんは今後も注目してゆくべきだという感を抱きました。