ホントにねえ、昔は陳舜臣さんなんてのは読んでも全然面白いと思わなかった。
うちには「中国任侠伝」があって、中学生くらいの時に読んだのだけれど、文章のタッチそのものがまったく子供の私には美味しくなかった。
けれども、いまにして思えば、明らかにそこから影響を受けているんじゃないかと思うんですね。
侠の思想や天という概念、鶏鳴狗盗の故事なんかは明確に私の中に息づいている。
自分自身が社会の道を踏み外していたときも、確実に心の中に自分は「侠」であり天道を求めている、という意識がありました。
これは、書家であった祖父の文化認識がなにがしかの影響を及ぼした結果かもしれません。
東洋哲学の教養が生活の端々から無意識に入り込んでいたのではないかと言う気がいたします。
最近では、陳舜臣著の本がどれも面白くて仕方がない。
先日は「戦国海商伝」と言う本を、まぁ戦国時代で海商だから倭寇が絡んでくる小説だよな、という程度で読んだのですが、これがもう、倭寇の裏側を描いた非常に私の学問に直結した内容でした。
嘉靖の大倭寇の時代というのは、南倭北慮と言って南では倭寇が起き、北方では騎馬民族が侵略してきてという明朝にとって非常に忙しい時期だった、というのは知っていました。
中国武術の革新をした戚継光将軍が、倭寇を退治した後であわただしく今度は北方に向かって騎馬民族と戦い、その結果、日本刀から発展した苗刀が北部の武術にまで広まったというのは知られている話です。
私自身が幸いに学ぶ機会を得た苗刀の流派も、山東に伝わった蟷螂門の物と、老師から教わった通背門の物です。
南派武術の師父でありながら、南方武術に伝わった苗刀を触れたことはありません。
このように、武術の南北をシャッフルしたというところに戚将軍の改革があるのですが、この南北の侵略事情と言うのは実はそれぞれ個別の案件では無くて繋がりがある、ということも今回知りました。
南の方では明朝に負担が大きい朝貢貿易を制限するために海禁が行われており、結果として抜け荷をする海賊が大量発生して倭寇に繋がった、ということは書いてきました。
その一方で、実は南でも同様の市場の事情があったようなのですね。
と言うのも、騎馬民族はその頃、北部で育ってた馬を中原に売るということをしていました。
これによって中度では北部の質の良い馬を手に入れることが出来ていたのですが、実は一定の時から馬の供給がだぶついてきて市場価格が下がってきます。
しかし、騎馬民族から馬を買わないと、生活に窮した彼らは一転馬賊となって侵略をしてきます。
そうなってはかなわないので、明朝としては要らなくても馬を買わないといけなくなる。
そうしているうちに、このことに気付いた騎馬民族は、質の悪い馬を渡して金を得るというぼったくりを覚えて味をしめてきます。
結果、明朝は一層に貿易にうま味が無くなって困窮してくる、という次第です。
この明朝自体も政治経済制度がかなり独特の物だったようで、他の多くの王朝において腐敗の元凶のように扱われていた政治家たちの権力を削ぐための政策が行われていました。
具体的には、宰相を廃止して皇帝の独裁が行われていたのですね。
これはいかにも危なっかしい。
となるとどうなるかと言うと、宰相はいないのですが周りの大臣たちがいるので、彼らが実業を離れた存在となります。
他の時代で言う腐敗した宦官のような存在になってゆくのですね。
これによって、彼等から下の行政はみんな賄賂が横行する汚わい官吏の集合体となりました。
倭寇討伐において有能な将軍たちが、失脚をさせるのを目的に言いがかりをつけられて冤罪を掛けられていったのはこのような背景のためです。
また、嘉靖の皇帝は例の、中国皇帝名物の不老不死幻想に取らわれており、政治より方術を重視しており、道士たちを優遇していたそうなのですね。
政治家としてやることのない大臣たちは、そのために青詞という物を作って皇帝に送ることを出世の手段とすることになります。
これはつまり、祝詞のような物ですね。
そういう物を書いて皇帝に送ったり、地方の山に流れ落ちた縁起の良い動物に似た形の隕石を見つけて献上したりすることで褒美を与えられていた。
そういう、全然政治能力とは関係ないことが大臣としての権力に繋がっていた。
これでは国が腐敗しない訳がありません。
上がこうしてオカルトに走っている政権と言うのは、実務能力に大きな問題が生じる、というのは今日のこの国に生きていればよくわかることですね。
また、明朝はそれまでの商業主義を排して農本主義に返っている王朝でした。
これでは民は食い詰めるんですよね。
だって、外交貿易が上手くいかなくて国が貧しいから、収穫は税として取られてしまいますので。
ですので、実務能力に聡い人たちは商業で財産を獲得します。
しかし、農本主義、独裁制で商人の社会的立場は低い。
そうなると、実務能力に長けた彼らが反社会性を伴ってゆくのは必然でしょう。
こうして中国名物、秘密結社がどんどん力を付けてゆきます。
それらの人たちが理不尽で頼りにならない政府の方針を無視して私貿易をしていたのがすなわち「海賊」という訳です。
これらの人々が力を付けてゆき、やがて海禁の解禁を求めて暴動を起こしたのが嘉靖の大倭寇だという訳です。
その反政府運動に、食い詰めていた農民たちが乗っかって一緒に暴動を起こしていた。
こういう因果が、陳舜臣さんの本を読んでいると分かってきました。
歴史には色々な視点からの様々な切り口があります。
それらを幾重にも学ぶことが、私の人生の大きな仕事だと認識しています。
海賊武術を研究する南方武術家だと自覚をしていても、やはり北部の出来事と歴史的に繋がっており、北部の武術を学ぶことで見えてくる物もまた沢山あることであるのでしょう。