ローマ帝国以降の白人優位主義社会の広がりについて参考になると、ヴィンケルマンの「ギリシャ芸術模倣論」を阿闍梨から勧められました。
早速読んでみたんですが、芸術についての詳細が多すぎて門外漢には理解が難しい。
しかし、巻末についているヴィンケルマンの友人への手紙を見ると、彼が非常に好ましい学究であるとの共感を抱き、まさに私のような生き方をしている人間の偉大な先人であると理解するに至りました。
本文後の解説で、初めて歴史を俯瞰しての彼の研究の意義が理解できました。
ヴィンケルマンの時代、古代ギリシャと言う概念はほとんど失われていたのだと言います。
なにぶん18世紀の人です。ローマと言う概念が西洋ではとかく強い。現代でさえ、白人種はその起源をローマ帝国にしているくらいなので、その時代の人間にとっては言わずもがなでしょう。
その中で、ヴィンケルマンはドイツからローマに移住し、そこで古代ギリシャ文化という物を見出しました。
ローマと言う概念が白いローマを意味しているのと同じく、古代ギリシャとは東側をアジア、南側をアフリカとした文化圏です。
いわばそういった切り取られた世界全体と言った多様性がそこにはあります。
ヴィンケルマンはそれを独自の文化だと見出し、ホワイト・ウォッシュされて白人中心の視点から読み取られた「ローマの前身」という捉え方とは別の物としました。
この視点は新しい。
ヴィンケルマンは、古代ギリシャの美に対して、アジアに通じていると讃えています。
しかし、彼のそういった意見は黙殺され、後世にギリシャ彫刻はネイティヴ・アメリカンの肉体に共通性があるという見解は「野蛮な土人などが白人種に似ているはずがない」と否定されたと言います。
ヴィンケルマンに先立つ大航海時代から、すでに白人優位主義による植民地政策は広がっています。
むしろ、それによって差別意識が肥大して行ったとさえいえるでしょう。
そのために、古代ギリシャ文化は白いローマの見解に漂白されていったものだと思われます。
ルネッサンス運動によって復興されたものこそまさに、白いローマの概念だと言えるように受け止められます。
そしてまた、ヴィンケルマン以降も上述のようにこのギリシャの多様な文化は無きものとされて封じられました。
今日の、陰謀論者による科学やソースの黙殺と共通するところが感じられます。
大衆は、理解するのに労力が要らない物ばかりをかき集める。
結果、正しい全体がまるで見えなくなります。