先日、ホグワーツでの実習前に手を洗っていた処、同級生にいたずらで膝カックンをされました。
初め何をされたのかわからず「ほえ? なに?」と手を洗ったまで質問をしました。
あれ、どういう仕組みなんでしょうね、あまり子供の頃にもやった覚えがないから面白さが分かってないんですが、たぶん何かの身体の構造上の弱点で、どっかに膝の力が抜けるポイントがあるんでしょうね。
で、私はやられてもどうともなかったんで、膝のポイントより下に当たっていて命中しなかったんじゃないかとその同級生に言ったんですね。
しかし、その同級生、私より背が高い。
その背の高いところから、何度か繰り返して試したんですが、まったく来ません。
もし高いところから相手の低いところにやらないといけないのだとしたら、小学校の同級生同士ではかかりにくいような気がします。
なんでなんだろ、と思っているうちに、同級生は「強い」と笑ってそれでおしまいだったのですが、私はその言葉がヒントになってもう少し考えました。
もしかして、ホントにこれは強度の問題なのではないだろうか。
だとしたら、これは単に筋力の問題ではないかもしれません。
なにせこの私より、その同級生は背も高いしでかい。
同じような体格の子供同士で不意打ちでやるとかかるような物であろうはずなので、これはその「不意」の部分にポイントがあるのではないでしょうか。
そこで思いついたのが、不意を突かれるような油断している時、恐らく人は骨格に由来して立っていると思うのですね。
私が言う処の、人は骨を杖として使っている、というお話です。
で、この杖をカックンとされてしまうと全体のバランスが崩れるので重心が落下して焦る、というのが件のいたずらの面白いところなのではないでしょうか。
だとすると一連の流れに納得のいく説明が出来ます。
私は中国武術、特に南派、鶴拳類でよく言う「骨肉分離」をした身体のフォーマットで暮らしています。
骨の杖を使わないようにしているんですね。
元々使っていないから、杖をカックンされても重心が抜けない。
確かに同級生に膝カックンされた時に、私の脚は曲がっているんですよ。
決して反応して抵抗している訳ではありません。
体重を乗せて沈められた分、膝が曲がって脛が傾斜しています。
柔らかくそのまま体重を維持していました。
姿勢が崩れても、軸が繋がったまま変わっていないんですね。
柔術では、骨肉分離をせずに骨格の繋がりを重視して相手の骨格に技を掛けます。
骨格が力を発揮できる角度は、非常に制限された物となります。
ですので、その領域が深く研究されています。
解剖学的な知識が重視され、文字通り「ほねつぎ」という物が伴いました。
中国武術ではそのような外科的領域ではない部分をまた重視します。
ですので、骨格的な技を掛けられても結果が変わります。
骨肉分離の結果であり、文字通りに骨を断捨離して代わりに得た力の繋がりによって動くことになります。
それが勁ですね。
いつもいっているように、勁はパンチの打ち方という意味ではない。
もっと根本的な構造を支える力です。
骨格的な発想では出てきえない。
勁の発想で肉体を補強できまいかと考えて研究しているのが、前から書いてきた「夢のスクワット」なのですが、先日も研究中にふと新しいことに気づ生きました。
この膝カックンの経験が無意識のうちにあって影響したのかもしれません。
私が行っているスクワットでは、いわゆるフルボトム、可能な限り最も下まで腰を下ろします。
それに対応して上げたときも無意識にもっとも上まで挙げ切ってフルストロークで行っていたのですが、考えてみたらこれを挙げ切ると、骨格で体重を支えることになります。
ですので暫時楽になります。
骨を杖にして体重を預けているからですね。
でもって、これはコンセプトからすると、骨に負担をかけているということになるので、膝の故障者のためのスクワットとしては不適切な要素があるように感じます。
あくまで新陳代謝が骨よりも大きく強化の幅がある筋肉と腱で体重を支えることで自重を支えるサイクルを作るのがこの夢のスクワットの目的です。
なので、骨に頼る要素を減らしてみようと思いました。
単純に、挙げ切った時に膝関節を伸ばし切らないという方法を試行しました。
すると、これがきつい。
非常に筋肉に負担がかかります。
いままで、どれだけ骨に体重を預けて楽をしていたのかがよく分かりました。
当然、筋肉が楽だと感じる分は骨にとっては負担となります。
膝関節は人によってはだいぶんと過剰運動症があります。特に自律神経が副交感神経よりの若い女性などだと、いわゆるトリアシ、逆関節のようになってしまっていることも珍しくはありません。
そもそも骨は体重を支えるように出来ているのでそれが役割ではあるのですが、しかし実際には体重を支え切れずに損傷してゆくのが現実。
二足歩行という例を見ない生物的特徴のゆえんですね。
これを補うために、骨に負担を掛けない夢のスクワットを研究している次第です。
今回の件でやはり骨格に頼った立ち方はもろさがあることが改めて分かりました。
根本構造の改革が有益ではあるまいかなあ、と思う次第です。
西洋的な価値観で作られたスポーツの世界では、多くの競技者が膝を傷めています。
スポーツの価値観ではより逞しい方が優位でありますが、実際にはどうしてもその代償として膝への負担も高まる。
さらに言うと、腰にもです。
膝を守れば腰が悪くなり、腰が守られている人は膝をやります。
私自身もそうでした。
そしていま、アメリカではそれらへの対策として、根本治療ではなくて痛みの緩和が主流として行われています。
オピオイドの解禁ですね。
結果、中毒者が大量に発生して社会問題になりました。
オピオイドの安全性を訴えて解禁に持ち込んだ製薬会社は訴訟されて倒産しましたが、各州の法律自体はそのままいまでも生きていて、オピオイドの流通は続いており、年間十万人の程の死者が出ています。
やはり、根本的な発想の転換が救済への一歩になりそうです。