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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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世界を面白く生きるため

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 先日ね、オールナイト・ニッポンの放送開始55周年企画が行われていました。

 金曜日の夜から日曜日の夜にかけての55時間、これまでに番組を担当していたパーソナリティたちから抜粋されたDJたちが、二時間づつオールナイト・ニッポン・スペシャルとして番組をリレーしてゆくという企画でした。

 オールナイト・ニッポンと言えば、タモリさん、タケシさん、所ジョージ、桑田佳祐と言った伝説的なタレントが有名で、私たちの世代は話でしか聞いたことがないのですが、ナッチャコや亀とアンコウと言った伝説的パーソナリティが初期には人気を博していたと言います。

 私自身は、もうそれはませた子供で小学校高学年の頃からラジオに夢中で、まだ誰も知らない頃の福山雅治さんを始め、デビューしたばかりの頃で男子は誰も知らなかったSMAP中居さんなどの後の大スターを放送で知ったり、あるいはバンドが売れる前の大槻ケンヂさんや、川村カオリさん、渡瀬マキさんなどのミュージシャンを楽曲より先に触れることが出来ていたりしていました。

 そしてもちろん、伊集院光さん。

 年上の人たちから、彼らの憧れや彼らの知っている伝説のミュージシャンや文学者の話などを聴くのが本当に好きで、魂に沢山栄養をもらったように思っています。

 となるとこれはやっぱりある種の「神話」の口承芸能なのですね。

 今回のスペシャルで最初に耳にしたのは、タモリさんの特番でした。

 いいともでテレビタレントとして大成したのが40代の時。

 それより十年前の30の時にオールナイトを始めたのだそうです。

 いいとも以前、タモリさんと言えば片目にアイパッチをしたジャケットが印象的な、冗談音楽の人という印象がありました。

 後に知ることになるスネークマン・ショーやキッチュに通じる、知的な笑いを感じさせる都会的なハイブロウを投げる人という印象がありました(だからちょっと怖い感じもあったかもしれません)。

 当時の、31のタモリさんの音源という物が特番では流れたのですが、これがフリースタイルでブルースを唄って心情を吐露するという物でした。

 80年代にいとうせいこうがラップをする以前から、この人はこういうことをやっていた。

 まぁ、ビート世代的なポエトリー・リーディングだったのでしょうね。

 そういうめちゃめちゃかっこいいことをしていたのですが、音源を聴いたタモリさんは一言「バッカじゃないの」。

 31の疲れた男がただぼやいているだけだと軽く流していましたが、いや、ほんとにブルージーでカッコよかった。

 そういうことが出来るのは、やっぱり音楽的な土台がきちんとあるからなんですよ。

 番組のゲストは星野源くんで、二人で音楽について語るということが番組の中でかなりの時間をしめていたのですが、これが私などにはまったくレベルが追い付かないところでの音楽解析が行われていて、二人の知見の高さに圧倒されました。

 もう、かーーーーっこいーーーーー、と、教養があって物事が見えている人たちへの尊敬にうっとりするほか出来ない時間でした。

 その中でお二人が自身の音楽的背景のルーツについて語っていたのですが、ともにお父さんが音楽に明るい方で、いつも楽曲が流れる家庭で育ったということなのですね。

 星野君のお家はお父様がジャズマンで、そこにジャズやブルースに明るいタモリさんとの共通点があるようでした。

 タモリさんの方はというと、お父様が民族音楽、ワールド・ミュージックがお好きな方だったそうです。

 お姉さまはピアノ曲が好きで、お父様はフラメンコがお気に入りだったと言います。

 そういった中でタモリさんは曰く「音楽はみんな面白かった」そうなのですが「その中で一つだけ分からないのがあった」というのです。

 それがアメリカの民族音楽であるジャズだったのだというのですね。

 どんな音楽を聴いても面白いのに、ジャズだけは分からない。面白さがわからない。

 そこでタモリさんはレコードを持ってプレーヤーのある友達の家に行き、一緒に聴いてくれるように頼んで色々繰り返し聴きこんだと言います。

 結果、ジャズの聴き方、どこがすごいのかとかの面白さを理解するための作法が分かったきたのだそうなんですね。

 結果、「俺は一番はジャズだな」ということになり、変わり者のジャズマンとして東京で知られるようになり、いまの人生に至っている訳です。

 するとなるほど、色々な物に興味を持ってそれを紹介してくれるというタモリさんの芸風は、まさにこの、面白さの分かりにくい物の楽しみ方を知る教養の提供というように見えてきました。

 これ、即物的な刺激に支配されがちな私たちは大いに注意したい部分です。

 よく目にしたものを「何が面白いのか分からない」と思ったり言ったりすることがあります。

 でも、それってホントは「嫌い」とイコールでは無いですよね。

 ただ分からないだけです。

 けれども、分からない=嫌いと短絡してしまうような風潮が世に多く溢れているのも事実。

 それを当たり前にして生きて行ってしまうと、何一つ深い物を楽しむ教養を身に着けることのない世界で死ぬまでを過ごすことになります。

 面白さが分からない物の、面白さが分かるようになる教養を身に着けることで、自分という物はどんどん色々な物を面白いと思えるようになってゆきます。

 これ、教養がなぜ大切なのか、ということの答えなのではないでしょうか。

 私は毎日、世界は面白いと思って生きていますが、それはそのルートの上に自分の身を置けているからだと思うのですね。

 分からない物、知らない物を理解しようとする人生は、毎日が面白いことだらけになります。

 分からないということを否定的な分類に入れる人は、それだけで人生の大半を喪失しているように思います。

 一生ジャンク・フードだけで生きるようなもんではないですか。


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