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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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東洋的な「在り方」について

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 現代日本人は近代西洋資本主義に骨の髄まで染め上げられて、肌は黄色いが中身は白人のバナナ人種に品種改良(改良? まぁ、彼ら白人種からすれば)されているため、アジア人としての思想や感性を失っている、ということを繰り返し書いてきています。

 私は幸い、師父や老師らに色々物を教えていただき、自分で学ぶことが出来るようになってきたので伝統的価値観に照らし合わせて世の中を生きるようになりました。

 それがいま、ホグワーツに通うようになって一時的に隠棲生活から半歩踏み出して世の中と接するようになっているので、一定ペースを合わせなければならないシチュエーションも増えてすこぶる消耗することあります。

 そのギャップを一言で表現するなら、恐らくは無為ということになるのでしょう。

 これはタオの思想で最も基本となっている価値観です。

 無為の反対は有為であり、これは人為的であると解釈すると意味が通じやすいように思います。

 しかし、それだけで無為が分かりやすいかと言えばそうではないのではないでしょうか。

 単純に解釈すると無為とは何もしないことだと捉えたくなるのですが、どうやらそれはちょっと違うようです。 

 無為とは、積極的、能動的に行わない、というくらいの意味に捉えると良いようです。

 一定の条件と、一定の積み上げがあれば、自然に因果が満ちて物事が成るということがありますね。

 これが無為です。

 古くから言われている身近な言葉で言うなら「赤子泣いてもフタとるな」というようなことでしょうか。

 お米を炊く時に、ある程度までをしたらあとはもう積極的な行動はしない。

「量子力学で言うと、観測そのものが観測結果に影響を与えるということです」と師父から教わったことがあります。

 まぁ、私は量子力学はまったく分からないのですが。でも言わんとすることはくみ取れていると感じます。

 この考えは、自然との協調の生き方、それがタオに乗っ取っているという思想から来ています。

 古代の素朴な農業において、作物が収穫良く収穫できるかどうかはそれだけ沢山手を掛けたかによるということはないそうです。

 一定やることをしたら、あとは天候に任せてその時が来るのを待つしかない。

 うまくいけば時が功を積んで実りの時期には作物が収穫できます。

 これを教えたのが荘子にあるバカな農夫の話で、植えたねぎを早く育てようとして毎日ひっぱって台無しにしてしまった。

 それはタオに則っていない、ということですね。

 努力と工夫、人為と積極性を良しとするのは、キリスト教文化の考え方です。

 これはつまり、前提として人類というのは楽園を追放されて地上をさまよっているという、懲役中の罪人である、という文化観が背景にあるのかもしれません。

 確かに懲役囚ならまじめにやって反省した方がよさそうです。

 この価値観の違いを連想するエピソードを、シンガーのクリスタル・ケイさんのお話で聴いたことがあります。

 彼女は日本で歌手活動をしているなか、一時休止してアメリカで勉強をしていたことがあるそうなのですが、それらの時に受けたオーディションや面接で、他の参加者はみんなガツガツアピールをしたり面接官に質問をぶつけていたそうなんですね。

 しかし彼女は、まぁ自分はそこまでの実力があってきている訳ではない新参者だし、そこは行きたい人に譲って様子を見て勉強するところから始めようとしていたらしいのです。

 すると彼女に対して「傲慢だ」という評判が立ったというのですね。

 他の人たちの水平思考からすると、ゆとりがあって後ろに座っているだけで自分は選ばれると思っているに違いない、と邪推されたそうです。

 ということは、他のみんなは面接官に対して下手に出るアピールをしていたことで相手に媚びへつらうという努力をしていたということが見えてきます。

 これが西洋圏の努力、私たちの言う「有為」なんですね。

 上司より高い車には乗らない、スーツは青木でブランド物なんて着ない、という、へつらい、そんたく社会です。

 これ、いまの日本人の考え方そのものですよね。

 アメリカの人たちは自由だという印象が我々にはありますが、実際は日本と較べてというだけで、本質的にはビジネスマンの世界では相当に同調圧力が強くて強迫性が高いそうなんですね。

 私が出会った人たちでも、比較的低所得だったり地方在住の人たちなどはおおらかでいかにもアメリカンという人が多かったように感じるのですが、何人かのニューヨーカーのビジネス・パーソンたちは常にピリピリしていて、周りに会わせないといけない、相手が自分の知らないことを知っていたら敗北だ、と感じて怯えているような、卑屈な神経質さに囚われているように見える人たちが居ました。

 一般には心理学では病弊だとされている演技性人格という物がアメリカでは理想的な人格だと見なされるそうで、大げさに感情表現をして社会適応した私をアピールすることが彼らの価値観では重視されているようです。

 確かに、これはカウンセリングが欠かせないな、と思った次第です。

 つまりはそういうことが、有為なんですね。

 これを荘子は「権力者の尻の穴を舐めて褒美をもらって喜んでいる連中」と呼んでいます。

 つまりタオとは、そういうことをしない価値観だということです。


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