さて、前回は我々現代日本人が名誉白人のような状態に嬉々として準じている状態について書きました。
その中で、私のような伝統的なアジア人の身体的感性と哲学を取り戻そうというような人間は極めて少数派であるということを書きました。
このような考え方は、実は欧米でも哲学の世界で起こっていました。
すでに日本がアメリカ大好きで、トレンディドラマでは最終回には毎回マンハッタンに主人公たちが旅立ち、シティ・ハンターでも毎回ラストでは依頼人の美女が飛行機で旅立っていたような80年代に、すでに欧米圏にてその欧米中心主義は批判が始まっていました。
そのムーヴメントの中で、欧米中心主義と並んで批判が検討され始めていたのが、男性優位です。
私はよく、90年代ポリコレに影響を受けたという話をここで書いていますが、それがまさにその80年代のこの哲学から発生した物であったということです。
ミシェル・フーコーは、19世紀以降の近代社会というのは、社会制度という生の権力によって人間の性を管理し、その再生産性(出生率)をコントロールし、経済に直結させる制度だというしたそうです。
私は頻繁に、現代日本には市民精神が欠落しており、民主主義国家としての機能を伴っていないということを書いていますが、その市民精神さえ資本主義下における臣従精神であると彼らは言います。
つまりは福沢先生が批判した、日本人が小百小精神から抜け出せず市民社会を形成できないという批判は、そもそもの近代国家が持っていた構造に根本的に由来していたということになります。
そしてフーコーが批判したような近代的再生産システムとしての性という物が成立する以前の自然な状態を模索するならば、やはりそこに私が常々書いてきている精の思想、いまとはまったく違った性の概念が見えてくることでしょう。
そういった欧米型社会の世界的な肥大は、デリダによって欧米中心主義として批判されており、そこには侵略の情勢異常にはなんの根拠もないということが証明され続けたのがこの80~90年代の哲学史だと言います。
つまり、当時のニュー・アカ・ブームに子供だった私はその運動に影響を受けて独自進化したいわば隠れ里出身の鬼子のような物なのでしょう。
哲学者のエドワード・サイードはこの欧米主義による東洋への差別を「オリエンタリズム」と言います。
彼の基底では中近東以東への蔑視を指してこう言っているようですが、これはつまりギリシャ時代はその半分をしめていたトルコ以東がローマ帝国期以後の歴史において被差別となったという私の記事と重なってきます。
ちなみに、私は現在「東洋医学」と呼ばれる物の勉強をしている訳ですが、この「東洋医学」の定義はトルコ以東の医学だとされています。
なんとなく我々は東洋医学と言うとイコールで中国の物だと思ってしまいますが、ギリシャ医学も含みうるということです。
また、何人もの中華皇帝が飲んで死んだことで悪名高い水銀を飲んで不死になるという練丹術という物がありますが、このような鉱物を服用する医術は、東洋医学の世界では中華文化圏内では西方が本場だとされています。
稀少鉱物が豊富で乾燥している地域で発展した物だというのですね。
すなわち、ローマまで続いていたシルクロードの物です。
中国武術もまた、その中心にはイスラムの武術が一つの大きな骨子として存在しています。
現代の中国を代表するような東海側の都市部が中国文化の中心ではなかったのですね。
以前に書いた脱構築的二項対立においては、そもそもヨーロッパと言う概念そのものがトルコ、ペルシャなどへの対立概念として発生したと言われています。
その、本質的に明確な中心軸を持たない対立意識だけ(あぁいえばこういうで意味の無いことを言うだけの政治家みたいですね)の存在が欧米中心主義です。
だからこれは、上に引用したように「そもそも根拠がない」と規定される訳です。
さらにその西側を仮想敵としたロシア帝国主義がまったく意味不明な空論であるということになるのも当然のことだと言えましょう。砂上の楼閣の上の違法増築のような物です。
そしてその砂上の楼閣の上の違法増築となるのはプーチンだけではありません。
そもそもが反アジアのオリエンタリズムしかない欧米中心主義の上に乗っかったアジア人としての根拠を持たない現代日本人の精神全てが同様の物だと私の目には映ります。
それらを含めた、欧米中心主義、オリエンタリズムからくる非欧米圏の人々への抑圧が、ポスト・コロニアリズムと呼ばれる物です。
直接的な領地による統括とは別の形である物の、内面を同じくするコロニアリズム(植民地主義)ということでしょう。
なるほど、砂上の楼閣の上に繰り返し違法増築をしてきたのが近代日本人の自我だということの論は分かった。
だがその科学的証明はどこにあるのだ、ということに対して論を呈したのがA・G・フランクという人です。
彼がその証明としたのは、十六世紀以降、すなわち近世以後において地球規模で交易の中心にあったのは明帝国である、という論拠です。
往時の経済状態を調べると、西欧諸国は慢性的赤字状態にあったということが分かります。これがリオリエントと呼ばれる物だそうです。
昔からこちらの記事を読んでくださっている方ならお分かりでしょう。
その時代の明を中心とした世界的貿易とは何だったのか。
すなわち、倭寇貿易です。
私の研究課題である海賊武術の土台ですよ。
だから私は学問的にこの海賊武術の継承をして、アジア人の身体哲学の教材としているのです。
ちなみにもう一つの課題は中国に伝播した心意把という武術の伝播ルートの研究なのですが、この心意把こそシルクロードから広まった回族(イスラム)の武術です。
なのでこの二種の、アジア人の身体文化から哲学を抽象することでアジア人が伝統的に身体をどのようにとらえてきたかということが学べるということです。
この、アジアの身体文化最盛期と言える時代は19世紀で終わりました。
それからが現代に通じる欧米優位主義の時代となります。
オリエンタリズム、東方蔑視の時代ですね。
その中で近代的自我、すなわち身体操作や時間間隔を画一化した近代化、すなわち臣従化した世界観が普及していまに至っています。
多くの現代人が当たり前に主観としているその眼鏡そのものが、19世紀に創られた色眼鏡だということです。
このような状態に反してより良い状況に人々の環境(意識そのものを含む)を変えるためにはどうすれば良いのだろうかという課題に対して一つの答えを掲げたのがドゥルーズです。
フロイトやマルクスを土台に構築されたその論とは、資本主義からの脱却でした。
本来は、物品が適切に適当なところに常に届いていれば、余剰物と言うの物は存在しなくなりますが、そんなことは物流上不可能であるので、当然余剰が発生します。
それらは資産となってゆきます。
これらは口座上の数字や証券として代替的に取引の対象となります。
それらを資本と呼びます。
こうして、基の物品を離れた資産価値が資産価値を生んで実態が無いまま膨らんでゆくことで市場主義経済という物がなりたってゆきます。
ここからは私も聴いただけの話であくまで伝聞になってしまうのですが、それらは資産の価値そのものを維持して向上させるためのコマーシャリズムと結びついて肥大化し、実態価値とはかけ離れた次元まで膨らんだマネー・ゲームに最終的にはどうしてもなる。
そうして貧富の差が拡大し、教育の差もその例にもれず、分断が広まってゆきます。
そこにはどうしても穏当な着地点は存在しません。
ですので、それを越えた発想へのパラダイム・シフトが必要となります。これがポスト資本主義です。
以前書いたように、私はもう伝統思想の復興に救いを見出すのではなくて直接ポスト資本主義をしなければ世の中の役には立たないのではないだろうかと葛藤していたのはこうのような次第によるためです。
ドゥルーズはこの方法論として、神の介在の排除を提案しました。
私が繰り返し言ってきて、近年ではマックス・ヴェーバーが公言したという「資本主義派結局のところプロテスタントの教義で根拠がない」という処への着地でしょう。
何もないところに建てられた最初の砂上の楼閣をそう見立てたのだと私は解釈しています。
私が常々、宗教でもスピリチュアルでもないところに足を付けて立たねばならない、と自己の確立を繰り返し書いているのはそのためです。
神話学のキャンベル教授もまた、神はすべて例え話であって実在はしないということを立脚点としています。
この立ち位置、自己愛も資本主義も宗教も無い地点に自分を立てることが可能になってこそ、人は自由になれる。
そのための具体的メソッドが、釈尊がカーストと人生の苦しみという、当時の人々からすると「神」そのものであった概念からの脱却を求めるために確立してきた、この仏教哲学の具体である身体文化だということです。
今回のアカデミー賞は、こういった東洋蔑視の歴史を背後に含んだ文化的アイコンであったと私には思えました。