前回色々な例を挙げて書いたことを一言で言うなら「依然アジアはアメリカにおいては誤解されているが、視点の白人化した現代人においては自身アジア人であってもそれらに気付くことは容易ではない」ということです。
我々はすでに生まれた段階で消費主義社会に存在しており、それ以外の成育環境を経験したという人はほとんどいないことでしょう。
しかし、実際にはポル・ポト政権下で生まれた日本人といった人たちも存在しているのです。
ただ我々が彼らの世界観を共有していないというだけで。
その、違う視点の人々を居なかった者とする価値観が入管での暴力や殺人に通じている気がしてなりません。
私が育った時代、アメリカではベトナム戦争が続いており、その後のベトナムでは中越戦争が起きました。
その少し前の中国は文革の時代であり、沢山の人が近隣アジア諸国に逃亡しました。
台湾は戦時政権として運動しており、その警戒を公式に解除したのはつい最近のことです。
また、朝鮮半島では北と南で戦争が起き、その混乱は現在にも続いています。
それらのアジアの動乱の中で、沢山の人々が難民として、あるいは実質ほぼ難民と同様の状態で多くの国に移住しました。
偶然、日本は反戦国家としてそれらの紛争に間接的にしか関与しないでこれました。
その間の日本は、自分たちの傘となっているアメリカへの憧れを膨らませ続けて、いずれ日本もアメリカになろうという方向性でまっしぐらに邁進していました。
どうもそれがおかしな方向にスクリューしたのは恐らく、バブル経済下で日本の経済が成長しすぎたためでしょう。
属国と言うにはあまりにも巨大な潜在的経済力を保持していることが世界的に証明されてしまった。
当時のアメリカでの反発はすさまじい物でした。
向こうの国内メディアでは、このギャップを「経済戦争」と呼んでおり、日本企業がアメリカの土地を買うに至ってはほとんどパニックのような状態であったことがいまではわかります。
要するに、中国企業が日本の国土を買収していることが報道された時の日本人の反応というのがそういうことなのでしょう。
こうして日米の関係はまるでやくざ映画における、成長しすぎた弟分とアニキの関係のような物になったように感じています。
その後の長期的な不況の時期、常に日本の政権与党が親米であったことを考えると、そこにアメリカの抑圧的意図があったことを疑うのは考え過ぎとは言えますまい。
我々はこのような状況の中において、それでもアメリカ大好き、自分たちも先進国の一員でありすなわち準白人種である、という価値観に染め上げられました。
多くの人種差別主義者は自称右翼であって本物の愛国者では無い、というのは宮台教授の説ですが、まさに、本当に伝統的な日本を愛しているなら、日本人らしさを捨て、アジア人としての歴史と伝統を破棄してアメリカの追随国であろうとして近隣アジア諸国を差別、または敵視することなどあろうことがない。
少なくとも私にはそのように思えます。
強気にへつらい、弱気を踏みつけるという日本人の卑しい習性がいかんなく発揮されているのが現在の自称右翼の姿ではないでしょうか。
まぁ、はだしのゲンを読むと右翼とは昔からそのような物だったように描かれてはいるのですが。
とはいえ、右翼一つを悪者にすべきではありません。
上に書いたように、これは日本人そのものの邪悪な習性だと私は感じています。
敗戦以前の明治からそうであったことが福翁の本を読めばわかります。
そのような中で、私のようなアジアの伝統を追求してゆこうという人間は圧倒的な社会の極少数はとならざるをえません。
であるからこそ、アジアの伝統的な身体観を学び、それをシェアして世の中に違和感を感じている人たちに自分たちの文化とその哲学を知ってもらおうとして伝統後継者の仕事をしています。
つづく