村上春樹の久しぶりの新作「街とその不確かな壁」を読み終えました。
ここからはその内容に触れることになりますので、知りたくない方はご対比下さい。
今回の作品は、デビューしたばかりの1980年くらいに一度書かれた物の、納得が行かなかったのでこれまで書籍化されてこなかったという物でした。
後に、その内容に手を加えて発表されたのが、私も好きな「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」という長編でした。
しかし、作者本人の中ではそれでもまた不完全だという思いがあったらしく、いまになってようやく完成されたということでした。
また、その完成までの過程にもかなり苦労があったらしく、一度は本編のうちで第一部に当たる部分までで感性にしようと思った物の、やはりこれでは不完全だということでさらに三部にまで渡って書きたされて完成となったのが今回の内容です。
今回の物語に触れて、私は本当に、久しく感じていなかった心の中の静かな部分に触れることになりました。
というのも、これは私自身の人生と、そしてその中核にある深く静かな部分と非常に重なる物語だったからです。
物語の中で、話主である「私」はとても静かな暮らしをしています。
それは単に語り口や一時的な環境による物のみではありません。
この物語自体が、その内面の静けさについての物語であるからだと私は読みました。
タイトルにある街と壁と言うのは、そのような物を差していると思われる会話が作中にあります。
この物語の前身とも言える、あるいは私の専門分野から言うならアヴァターラとも言える「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、タイトル通りに「世界の終わり」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の二つの物語が並行し、最後には一つの処で落ち合って完結するという構成が取られていました。
「世界の終わり」では、どこかこの世ならざる、壁に囲まれて完結した不可思議な小世界での静かな生活が描かれていたのに対して「ハードボイルド・ワンダーランド」ではタイトル通りに、パルプ的なラウドでポップでワイズ・クラックな典型的ハードボイルド的な物語が描かれていました。
この作品で私が好んでいたのは、当時大量のアルコールをあおりながらこれを読んでいた私自身の生活が、まさにその、誰も居ない静かな場所と暴力的でラウディーなハードボイルド的側面の二つを兼ね備えていたからです。
今回の作品では、完全なまでに後者の要素が切除されています。
それはつまり、やはり人生におけるその面を切り捨てて静かな隠棲のみを求めている私の生活と丁度響きあう物がありました。
つづく