相変わらず、ヨガや中国武術、筋トレや生理学などの動画をよく観ています。
その中で最近目にして大いに驚かされたのがこちらの動画です。
なんと。
私が普段書いていることとほぼ同じことを言っているではないですか。
ここで語られるのは、自由からの逃避です。
これ、1984で語られていたことでもあり、アヴェンジャーズの悪神ロキの侵略時のセリフ「君たちを自由から解放しに来た」に表現された物でもあります。
自由というのは、責任が伴います。
そして、自由を上手に取り扱い、リソースを割いて活用するというのは、物凄く努力と勇気の必要なことになります。
そこで、それらの労力の支払いを怠りたい人達、ないしそうして生きる勇気のない人たちが、容易くファシズムに陥ってゆくということになります。
これは80年代くらいから散々こすられてきた議題でした。
「みんな自分で考えるのが面倒だから、誰か他人に任せたいんだろ」
そうやって右に倣えの国民性に唾棄するアウトローな主人公の姿を、我々は一体どれだけ見てきたことでしょう。
しかし「それはテレビだけのお話」と本当のことではないことにされてしまって、結局現在我々はここに居ます。
見事なまでに国は権威主義化し、愚民化政策がいきわたっています。
自分で考えるという面倒なことが出来ない人たちばかりになってしまっている。
図書館に足を運び、学校に通いなおし、自分で勉強して認識能力を高めて、現実を本当に理解するということをしたがらない人たちが溢れかえっています。
そんなことをするよりも、嘘の世界の中に閉じこもってビールを飲んでパチンコをしたりアニメを観たりゲームをしたりしていたいのでしょう。
それならそれでいいのですが、よせばいいのに後ろめたさからか自分が本当のことに背を向けている不安感からか、嘘の情報を一生懸命拡散して自分の周りに塗り固めようとします。
なぜ私が常々このようなことを憂い、問題として向き合い続けるかというと、私が継承している中国武術というものが本来、仏教や道家の修行であるからです。
カンフーの本道は、認識能力を上げるということに付きます。
これはインドのヨガの時代から繋がってきている物です。
認識能力と言うのは当然、本を読んだり専門家の話を聴いたり自ら訓練を積むことによって向上します。
このようにして現実を直視して理解する能力が高まった人たちが増えることで、人類全体の現実問題への対処能力が高まります。
私たちはこれを目指して修行と学問の日々を送り続けるというライフスタイルを提唱しているのです。
そのような日々の果てには何があるのでしょうか。
それはつまり、自由である、ということです。
物が分かるからこそ、判断をして選択をすることができる。
その自由を獲得できるのです。