昔、最初に本格的な中国武術を教わっていた時に立ちはだかっていたのが、放鬆の壁でした。
放鬆とは脱力のことだと言います。
「日本人は放鬆が出来ない」とは80年代から00年代くらいまでの中国人の先生がよく言っていた言葉だと言います。
これに関して、日本人はのこぎりなどの遣い方が多民族とは逆なので屈筋主体の力み体質なのだなどという話も当時はよく出た物です。
台湾で有名な大先生のところに修行に行った方も、とにかく放鬆しろと言われ続けたのがもっとも辛かったと言われていました。
また、そもそも中国で言う放鬆は脱力とは違うのではないか、という方向に論が広がったりもしています。
私自身は、とにかく力を抜けと言われました。
抜いているつもりなのに、先生は力が入っているという。
だとしたらこれ以上どうすれば力が抜けるのでしょう、と訊くと、そんなもの脱力すれば力は抜けるんだ、と言われるばかりでした。
私は元々左右の方に、力を抜くと自重で脱臼が起きるというルーズジョイントがあるので、それを保護するために無意識に力が入っているのかもしれないとも思いました。
また、俗にいう身体の軟らかいと言われる人たちは自律神経に異常があって副交感神経優位になっている人が多いということも知り、私も自分が脱力をしようとしても交感神経の作用で抜けないのではないかとも思いました。
交感神経と副交感神経は拮抗しており、この二つの自律神経は名前の通り自立していて、任意では直接切り替えることは出来ません。
結果、この時は放鬆をすることが出来ず、挫折をすることになりました。
脱力をしながら、かつ力強く高速で動け、ということが私にはできないどころか理解も出来ないまま終わった次第です。
しかし、その後もその答えを知っている先生を探して師父に出会うことが出来ました。
師父は別に、その辺りのことに関しては何も言いませんでした。
ただ、勁を出すための練功法を教えてくれだだけです。
それによって勁を理解し、それを出す方法を追い求めて行けば、必要のない力は使わないで済むようになってゆきました。
先に放鬆を体得して力を抜いてから勁を出そうというやり方では私は上手くいかなかったのですが、逆の順番ではうまく行ったんですね。
これは門派のシステムそのものにもよると思います。
通背拳などでも、とにかく放鬆を求めると聞きます。
ひたすら力を抜いて行って、抜けているほど威力が出る。
これはそういう勁なのです。
蔡李佛のような鉄線勁と呼ばれる勁とはまた別の種類の物です。
ここまで来たから、そういうことが見えてきました。
そしてさらに分かったことがあります。
力を抜けば放鬆が出来る、というのは実は、科学的には嘘です。
どういうことかは次回にお話ししましょう。
つづく