昨日、公園で老師のオンライン・レッスンを受けていました。
また新しい拳套を教えてくださっていて、今回の物は斜め移動がコンセプトらしい、ダイナミックに移動しながら行う物で、そうしながら両手をぶんぶん振り回すという新しいヴァイブスが入っています。
この、だいぶん躍動感のある套路を打っている折、不意に後ろの植え込みからボサボサの毛をした猫がのそのそと出てきました。
あ、ネコだ、と思いながら老師の動きをなぞって練習をしていると、動き回る私の足元で猫は興味なさそうに辺りのにおいを嗅ぎ、傍に停めておいたバイクに鼻を寄せてから去ってゆきました。
結構私は走り回ったり突きを連打したりしていたのですが、うっかりするとネコふんじゃったになりかねないようなところをよぎって行った次第です。
あぁ、これは良かったな。と思いました。
私の拳は、師父や老師のような高みにも深みにも至っておりません。
特に誰かに威張るほどのところもありません。
しかし、知らない猫が怖がらない程度には静かな物にはなっているようです。
格闘技を辞めてから武術の道を歩んできたのは、自分が静かになりたいからでした。
そこに居ても誰にも気づかれないような存在になりたい。
そういう要素が古伝の武術にはあるように感じていたのですね。
心意拳をやっていたころは、私の拳は「ジジイの心意だ」と言われていました。
「もっと迫力を出すんだ!」と指導いただいていたのですが、どうも私はこの武術はそうではない、もっと何か静かな構造で出来ているはずだ、というように感じていました。
その後、静けさを求めながら蔡李佛に入り、そこで静かな武術に出会いました。
師父に初めに教わったのは客家拳で、これはあまり静かではありませんでした。
しかし、蔡李佛は少林の禅の行であるためか、非常に静かな物だと感じました。
そこに流れている気功における名人と言われているある大師の本には、大師が初めに学んだのは仏僧に伝わる「心を静かにする法」だと書かれていて、さもありなんと納得したことがありました。
この気功の原理で身体が動いているためか稽古中の私は動物に好かれるようになりました。
生徒さんの指導をしている時、近づいてきたハトに触れることが出来たり、飼い主が放したらしい兎に乗られたりしたこともありました(野鳥に触れるのは非常に危険だそうですので、もし触れた後は必ず消毒を)。
特別非凡なことができる訳ではなく、特段見栄えが良いようなことをするでもない私の武術ですが、自然と調和して動物を恐れさせることがないというのは、個人的には極めて大きな功だと思っております。