前回に引き続き「君たちはどう生きるか」のネタバレをしてゆきます。
異界の海に落ちた主人公は、そこに浮かぶ島にある岩室の結界に踏み込みます。
この岩室、死者をおさめる玄室のようにも見えるのですが、いえ、私が観たのは、これこそ母が子を産む産室だということでした。
これまで神話学についての文章で書いてきたように、死と生とは一つながりの循環です。
死者を祀る霊廟と子を産む産床は同じ、生と死をこの世に繋げる異界との交流点となります。
ですので、この岩室がそのような場所であることはすぐに私には分かりました。
ハウルの動く城以降、ジブリアニメでは謎めいた象徴が多用されるようになって難解な印象が強くなったとお考えの人は多いかもしれません。
今回の作品もさっぱりわからないと言われますが、いえいえ実は物凄く分かりやすい作品だと思っています。
死と生を繋ぐ禁忌の聖域とはなんでしょうか。
それはすなわち子宮です。
老子が道徳経で書くところの、全ての命が現れる水の流れる玄牝門というのはすなわち女性器、ないしその能力を中医学で表現した言葉の「女子胞」です。
外の世界の大宇宙と、一人一人の人間である小宇宙を繋ぐ門です。
また、インド神話などではこれは子を産み、そして自ら食い殺すと言うカーリー女神に象徴される宇宙の円環だとも語られます。
キャンベル教授はこれを、ユーラシア大陸に広く行き渡っていた原初の女神信仰の価値観だと言っています。
ですので、死と生というのはつまり死と性なのですね。
キリスト教では「神は全てを与え全てを奪う」と言いますが、キリスト教以前、それは大地母神の仕業でした。
この感覚は現代人には分かりにくいかもしれませんが、現代医学的に観てもこの女性の子宮に死と性および生が宿っているというのは正しいのです。
生と性は分かるが死はなんだ、という人もおられるかもしれませんが、女性の子宮には生まれた瞬間から原始卵胞と言う物があります。
ほとんど天文学的な数字の、一生分の卵子の元があるのですね。
それらが第二次成長期以降、胎内で融合し、卵胞を形成します。この段階で、結合しなかった原始卵胞は死亡します。
そして卵胞は排卵をし、子宮内膜が形成されて妊娠準備を整えるのですが、これもその期間内に精子がやってきて着床しなければ、死亡して胎内から流れてゆくことになります。
圧倒的に、生まれる生命よりも死んでゆく方が子宮では多いのですよ。
その性と生、死の聖域を犯した主人公の元に、かっこいい若者が現れます。
つづく