前回は、NOTEで目にした近代スリランカの上座部仏教の歴史について疑問があったので阿闍梨に相談することにしました、ということまで書きました。今回はその続きです。
私自身、自分の修行としては南少林の在家仏教に伝わったとされる技法を行い続けてきています。
当事者であると客観的なことが分からないので、学問としては西洋の先生方の研究を参考にしています。
ですので、仏教は修行の道であるということに納得して参りましたし、哲学であるということにも疑問を抱いたことはありませんでした。
そのようにして、近代西洋の研究者たちが東洋を「発見」してきたと思ってきたのですね。
ですが、件の記事ではそれらは発見ではなくて「創作」であるということが書かれていました。
それに関しても、かなりの説得力がありますので納得は行きます。
しかし、これには分からないことがあります。
その記事では、スリランカの上座部仏教については書かれていても、それだけで釈尊の時代の仏教が断定されており、釈尊以前のヨガにある修行による解脱という文脈が触れられていないのです。
また、スリランカへの伝播よりさらに東、中国における禅宗の発生についても触れられておりません。
果たしてそれらにおいても、記事にあるように出家者以外の修行や哲学の学習は本当に行われていなかったのかということが知りたく思いました。
そこで専門家の阿闍梨に教えていただいたのです。
阿闍梨が曰くには、確かに現在瞑想として有名なヴィッパサナー瞑想などには、スリランカにおける西洋人のキリスト教化の歴史があり、それがインドに逆輸入されているとのことでした。
が。
しかしそれはそれとして、元々インドでは在家修行者という物が存在していると言います。
そういう人のことを居士と言います。
言われてみれば、私も維摩教を読んだことがありました。
これは維摩居士と言う強力な力を得た在家修行者に多くの僧らが驚かされるという物で、日本では聖徳太子が持ち込んだ最古の仏典として知られています。
また、ヨーガ・スートラやバガヴァット・ギータ―においても在家修行者の存在は前提となっています。
これらの古典が、現在の私が読んだ段階で改変されている可能性が気になったのですが、阿闍梨に裏が取れたのでどうやらそういうことではないようだということが分かりました。
件の記事にあったように「仏教の哲学や瞑想などの修行を在家信者が行っていたことは西洋化以前にはないのである」というようなことは、恐らくは植民地時代スリランカにだけ特定されたことだと解釈することが正解であるようです。
何しろ、中国で起きた禅宗と言うのは修行仏教そのものであり、それが僧だけに独占されていたものあるかいなかは認識が大きく変わります。
少林寺の六祖慧能氏は寺内での政争から逃れて南進して南禅を興したとされていますが、終生居士であったとされています。
私としては、この南禅の存在が南派少林寺の根本にはあるのではないかと考えており、私が継承している南派少林拳というものはこの居士の仏教修行であるというように思っております。
ですので、私が肩書として戴いている師父という物も、また居士としての師父であると認識しています。
この辺りの諸説を学べたことは、今回非常に良い経験となりました。
自らが伝授され、実行して人にも伝えている哲学と行が、また一つ太く強くなったように思います。
こうした自己批判と再調査が、常に自分を強くします。
目をそらし耳を塞いでいては、自己愛の沼に沈み込んで腐敗することしか出来なくなることでしょう。