最近、あるお坊様がリポストされていた面白いNOTE記事を見ました。
https://note.com/prapanca_snares/n/nfa124e4eda39
近代スリランカにおける仏教は、西洋人によるキリスト教化をしている物である、という内容です。
ここには以前私が否定した神智学会のブラヴァツキー夫人らが関与しており、いかにも胡散臭い改竄があったと書かれています。
植民地の時代、こういう西洋化(日本で言う洋化)は各国で起こっていたのであろうと思います。
私が日本武術や現代武道という物を伝統的なものとしては否定するのもそれが理由です。
インド古武術だと言われているカラリパヤットでさえ、実はフィールド・ワークをすると20世紀の産物であることが分かり、カンボジア伝統武術のように語られるボッカタオも最近の創作です。
私が継承しているラプンティ・アルニスもまた、元々セブ島の剣士の家庭に伝わる伝統剣術でしたが、20世紀に入ってからミンダナオ島各地の剣士から学んだ複数の剣術からヒントを得て再統合された物です。
必ずアップデートないし全く別物としての再生がされています。
上記の記事では、スリランカの上座部仏教においてそのような経緯があったことを前提とした上で、内容もまたその変化によって激動しており、それが歴史改竄に繋がっているとのことが書かれています。
どういうことかと言うと、そもが上座部仏教において、修行をして悟りを求めるというのはあくまで出家をした僧の物であり、一般の在家信者がそのようなことをしてきた歴史などは無い、とされていることです。
それが、19世紀のキリスト教徒によって仏教のキリスト教的取り組みが始まり、聖職者も信徒も等しく学んで行こう、という物に変革した結果、在家信者はただ信仰をしていただけではなくて元々修行をしていたということになったというのです。
つまり、在家の者が瞑想をしたり修行をしたりするようになったというのは近代以降のことである、ということです。
まさに、現代におけるマインドフルネスの発想ですね。
そんなことは元々存在しておらず、西洋人の考えだった。
さもありなんです。
哲学としての仏教、修行仏教などは上位にある専門家の物だった。
と、ここにはあるのですが、私には疑問がありました。
私が学んできたこととは食い違うことが多いのです。
そこで、いつもお世話になっている阿闍梨のお知恵を拝借することとしました。
つづく