世の中には「筋トレは絶対に裏切らないから好きだ」という人が多くいます。
私も基本的にはその要素が幾分ありまして、必ずしも満足な結果は得られないし効率がいいとは決して言わないのですが、少なくとも筋トレは世の中のあまたある事象の中では還元性が極めて高いものであろうと思っています。
何かすれば筋肉痛になるし、繰り返せばそこに筋肉が付きます。
呆れるほどのハード・ゲイナーだと思ったりすることもあるのですが、それでもやはり0か1かで言うと、必ず筋トレは1にはなると思っています。
細胞は鍛えなくても新陳代謝で入れ替わっているので、そこで鍛えれば絶対に入れ替わった際には変化がでます。
対して、筋トレが嫌いだと言う人の中に「勉強の方が好きだ。勉強は必ず結果になる」と言う声があるというのを読んだことがあります。
この意見は筋トレの方の物と違ってあまり共感は得られなかったようでした。
しかしおそらくは、この手の人たちは筋肉が付きづらい、また記憶力が非常に良い人たちなのでしょう。
そういう恵まれた脳の持ち主にとっては、詰め込めば詰め込んだだけ覚えることのできる勉強は楽な物だと言えましょう。
私は筋トレだけではなく勉強も生涯を通して続けている身ですが、やはりこのやればやるだけ身に付くと言う考えにはまったく共感できません。
どんどん記憶は剥がれ落ちてゆきます。
例えばいま、10桁の数字を暗記したとして、一週間後に覚えているとは言い難い。
それに比べれば筋トレの方が確実性が明らかに高いように思います。
いずれにせよ、どちらのタイプもこれはホルモンの分泌や脳神経の働きと言う、単なる身体能力の問題にすぎません。
親からもらった遺伝子のお話、いわば親の遺産がどれだけあったかというお話です。
人間、どれだけ一人でひとかどになったつもりでいても、結局は身体的な得意を活かしてゆくなら親の遺産で食ってくことになるのです。
ちなみに、私はいま現在、90キロばかりのプロレスラーに間違われる武術家ですが、一族中にそんな人間は一人もいません。
母型はチビデブかガリガリばっかりで、父方もやせ型です。
私が大好きだった父方の祖父は親戚の婆さんたちの間では「大きな登さん」と呼ばれていて、明治生まれの中では背が高かったそうですが、170センチで体型もマッチョと言う訳ではありませんでした。
力士のような大男やプロレスラーのようなマッチョは一人もいない。
一応死んだ弟が典型的なちびマッチョだったのですが、これは恐らく母型の遺伝子が思春期の運動量を迎えて発露した物でしょう。
母型の伯父の一人は東京オリンピックの時の強化選手だったとかで、運動神経には恵まれていたようです。
繰り返しますが、私はまったく筋肉の付かない体質でした。
どれだけやっても恵まれた発達はしませんでした。
弟とは大きく違います。
しかし、努力だけはずっと続けてきたのですね。
10代の頃からの継続が今の体格を作っています。
ですが、じゃあ10代の頃に学校で勉強したことをどれだけ覚えているかというと……。
明らかに脳より筋肉の方に分があります。
そして筋肉も別にそれだけの期間で考えたなら、他の遺伝子型を持つ人たちならきっともっと大きくなっていたことでしょう。
つまりいまの私の体格は、純粋に努力の結果だと言って良いように思います。
確かに良い方法に恵まれてきたり、健康な状態が継続し来たと言う運はありますが、少なくとも純粋に脳と筋肉の遺伝子型に恵まれたとは言い難い。
ほとんど砂漠に水を撒くような年月の結果がここに至っています。
そしておそらくは、そのこと。確証の無い努力を繰り返したことが、工夫して考えると言う習慣を当たり前の物とし、それこそが実は真に私が獲得した物であるように思うのです。
つづく