前回は、いま90キロでプロレスラーに間違われるような私が、元々まったく筋肉が付かない体質だと言うことを書いてきました。
過酷な運動をすれば人並みに筋肉が付いたのはせいぜいハイティーンの頃くらいで、それ以降は毎週何度も死ぬほど運動をしてもマッチョにもならず痩せもしないという状態でした。
しかし、数十年かけてようやくここに至ったのです。
ですが、これは単純に同じ効率で積み重ねてきた結果だとは言えません。
方法を常に変化させることで効率の変化は常に起きてきました。
結果が出にくい体質だからこそ、やり方を色々変え続けてきたのです。
もし、それなりにやればやるだけ結果が出せる体質だったなら、恐らく方法を変えなかったのではないでしょうか。
そして若いうちにひとかどの段階にまで至り、40過ぎのいまではもうやめてしまってよくいる元運動家の固太りくらいに落ち着いていたのではないかという気がします。
結果が出にくいタイプだからこそ、ずっと工夫をして取り組んでこれが気がします。
もう一つの確率変動要素があります。
それは加齢によるホルモンバランスの変化です。
歳を取ることで男性ホルモンの分泌量は増加します。
おそらくはそのために、私はいまは以前よりは筋肉が付きやすくなっているかもしれません。
それが顕著に感じられるのは腹筋です。
以前はどれだけやっても外見的な発達が感じられなかった腹筋ですが(機能的な成長はしていた)、いまはアブローラーの成果が毎回感じられます。
結果、40代半ばのいまが、体脂肪一桁だったころより腹筋の見栄えが良いと言う状態になっています。
先ほど、もし筋肉がついていたらいまごろはただの固太りだっただろうと書きましたが、現実では真逆の成長曲線を描いています。
世間一般では、知識としては認知されていても実践はあまり伴っていない事実として、歳が行ってからの方が筋肉の必要性は上がると言う物があります。
そういう意味では、若い頃に痩せててもダサかった私の身体は、いまになってある種の成功に至りつつあると言えましょう。
このように、数十年単位で体質と言うのは変化が起きます。
つまり、十代の頃くらいは「勉強は努力をすればしただけ身に付く」と思っていた人が、40代50代になっても同じだとは言えない確率が高かろう、ということです。
元スポーツマンの固太りおじさんと同じです。
恵まれた頃にやっていた得意なことは、老化した時にも得意であるとは言いきれない。
だとすると、もっとも身体能力が高い若い頃に、それを前提に自分の努力のシステムを確定させてしまうと、非常に危険だと言うことが言えないでしょうか。
原資を前提に、現状と将来性を見越した努力の投資をした方がより良いという気がします。
これらの因果関係を読むと言うこと、つまりは自分のタオを見越すと言うことです。
となると結論として言えるのは、得意なことに全ぶりをするのではなくて、苦手な物も含めて自分がやりたいことをどうすればやってゆけるだろうかということを考えることにこそ、豊かな人生を送るポイントがあるようにも思うのです。