この記事のネタ出しと下書きをしてから、気づけばひと月以上が経っています。
実際にこれを書いてドロップして良いのかどうかという葛藤が非常にあります。
これを書くことが、差別になるのではないか、誰かを不本意に傷つけるのではないかと言う思いがあるからです。
寝かしている間に、私は別角度からの二つの検査で、どうやら腎陽虚であるらしいとの所見を得ました。
つまり、生命体としての疲労です。
20代後半に、過労で体質そのものを変えるような大不調をきたしていらい、ずっと体力が完全に元通りになることはありませんでした。
ただ、その下がった絶対値の中で快適に過ごすことは気功のおかげで出来ていました。
最近、たまたま目にしたネット上の広告に「年間休日120日!」という文句があるのを目にしました。
この十年の私の休日よりも、だいたい十倍くらい多い。
私はずっと、休みを取らないで生きてきました。
結果、一度損傷した身体にまた年齢の波が訪れて追い打ちをかけているのではないかといささか反省いたしました。
そのようにして、あらためて自分が気を欠損していることを認識したうえで、これはやはり、書いた方が良いのではないかと思うに至り、こうして稿をまとめている次第です。
さて、ここから本題となります。
ここから書くのは東洋医学的、気功学的な、気の病にちてのお話です。
予告した通りに、偏見や差別と感じられる内容になっています。
というのも、それらの伝統医学は現在の物の考え方など影も形もない時代に創られた物だからです。
先日、師父とお会いした時に、この気と病についてのお話を伺いました。
師父は非常にハードコアな中国武術のマスターなので、当然中医の先生でもあります。
私がいまこうして勉強をしているのもその影響下にあるためです。
師父が教えて下さったのは、もう亡くなったある方についてでした。
この方はご自身で事業をなさって成功しているのですが、いわゆるα男子で、素行は芳しくない物だったといいます。
非常にエネルギッシュでお金やステータスをほしいままにしており、セクハラ、パワハラ、DV上等のいわゆるツーブロックゴリラだったといいます。
この方がガンになってしまったそうです。
師父は、それまでの生き方を改めるようにと指導したと言います。
結局そういうことはないまま、その方は亡くなったのだそうですが、師父はこれを「性格と生き方のせい」と信じているご様子でした。
これは人格批判だし、差別的にも取れる。
そこで私は「中医学は、いまの考えで言うと差別的なところがありますよね」と訊いたのですが、師父も「そうだ」とおっしゃりました。
そう。
中国医学では見た目や感情の在り方で病状を図るため、ルッキズムや人格批判になるところが出てきます。
つづく