最初に遺産の相続人として指名されていたマロが殺されて以後、彼の兄弟たちが次々と殺されてゆきます。
それはすなわち、遺産の転がり先が点々とするということです。
その流れを追ってゆく一方で水木とゲゲ郎にはそれぞれの目的がありました。
水木の目的は、龍賀一族の製薬会社が企業秘密としている秘薬の原料である「M」の正体を知ることです。
これさえ知れば、彼自身がジェネリックM精薬を販売して一代にして龍賀一族と同等の資産家に成り上がることさえ可能です。
元ネタであろう犬神家の一族では、犬神一族を国家的な富豪に祀り上げた製薬の正体はアヘンでした。これにより、中国占領時の国家的な陰謀が明かされることになった、というのが大ネタとなっていました。
ゲゲ郎のモチベーションとなっているのは、失踪した妻です。
その妻に似た人がこの村で目撃されたというのがここを訪れた理由です。
結論としては、原作での出だしの振りが答えとなっています。
つまり、Mとは幽霊族の血液を精製した物であり、龍賀一族とその支配下の村人全員によって幽霊族はこの村に幽閉されており、生きたまま血液を搾り取られ続けると言う地獄絵図が隠されていたのです。
と、ここまでならメッセージ性はそこまで強調されてはいなかったでしょう。
これでも十分にストーリーは成立します。
メッセージ性が高いのは、このMの精製のために、間に幽霊族から1バウンド、村人からも犠牲者を孕んでいるということです。
幽霊族から血を絞り上げたあと、一旦人間の体内にそれを輸血し、希釈することでMは作られると言う設定になっているのですが、これ、筋運びが煩雑になるだけの無駄な1バウンドだと思ったらさにあらず。
結局、この仕組みによって村人は自分たちの村のはみ出し者を生贄にしていると言う構造があるのです。
土俗ホラーと言えばやはり生贄、というだけではありません。
これによって、閉鎖的な村社会価値観における権力との距離による階層が明示されます。
つまり、人種差別的にまず幽霊族を差別して生き血をすすり、さらに村社会の同族内でも階級の下の物を設定して彼らの生き血もさらに搾取しているのですね。
そして、その作業をするのが既得権益者である村人全員。
全員がこの悪しきシステムの共犯者です。
それを作り上げて運営しているのが龍賀一族。
最後にはその権力の奪い合いで互いに殺しあうという宿命的な有様になっています。
これ、つまりは現代日本で問題視されている、権威主義化を描いているんですよ。
人種差別や社会内に底辺を設定して差別し、踏みつけて搾取するっていう構造そのものが、いまの権威主義社会だってことを、戦前の権威主義で地獄を見てきた水木というキャラクターの視点を通して「まったく同じ物だ」として描かれているんですね。
さらには、その戦後の水木の視点から「今後の未来はみんながこういう物を無くすようにしないと変わってゆかないだろう」ということが語られます。
そして「結局そういう未来は訪れなかった」とまで描かれます。
現在が新しい戦前、愚民化社会であり権威主義社会化しているということを語っているんですね、この映画では。
これは驚きました。
Xなんかでゴミみたいなポストを垂れ流しているネトウヨに指を突きつけて「お前! こういうことだぞ!」と訴えるために創り上げた映画という感じです。
つづく