真相を知った水木は、あまりのグロテスクさにその場で吐き戻してしまいます。
クールでニヒルを自覚していたであろう彼も、この、素朴な田舎の平民の顔をして差別と搾取を当たり前の物として生きているムラの姿に耐えられなくなったのです。
これが権威主義社会というムラですよ。
命懸けで戦って、仲間を虫けらのように踏みつけられて殺されて来た彼にとっては、この平凡な村人全員が自分たちを食い殺してきた俗悪の正体だと言うことに打ちのめされたんですね。
最終的に、人種差別をモチーフにしたであろう妖怪たちへの搾取を解放した水木は、荒れ狂う妖怪たちが女子供問わず村人を食い殺す様を前に「こんな国は皆殺しにされて滅びちまえばいい」と吐き捨てます。
これが、彼を虚無的にさせていた彼のまともさ、人間性の証明なんですね。
誰よりも全うだったから彼は彼なりに悪に寄ったのだろうし、だからこそそれを遥かに越えた悪が現行の社会で「当たり前の物」とされていることに耐えられなかった。
最終的に彼は、今回の出来事のショックで一夜にして髪が真っ白になり、記憶喪失となって山の中でさまよっている所を警察に保護されます。そこで本編が終わります。
現代社会ってのはこういう物だ、吐いて絶望して白髪になって記憶が無くなるくらいおぞましくて嫌な物だ、というのがこの作品が提示したことなんですね。
そんなアニメ映画。
PG12。お子さん向けの映画にはレーティングされていません。
完全に大人向けです。
よく、こういう物を作った。
これだけ正面から、堂々と現代社会に生きるすべての無責任な大人たちを糾弾してくれました。つまり、大衆たちすべてに対してですよ。
本当に、腰が抜けるほど驚きました。
まだ、この国に人物が居た。
こういうことを堂々と指弾して、それをこれだけの規模で作品として送り出せる人が居たんだと救われた気持ちもわきました。
どうやらこの企画は、初め「絶対に失敗する」として反対をされてきたようです。
それがどうにか公開にこぎつけ、評判を呼んで大ヒットしています。
おそらく、この苦労をして立ち上げた企画の影には、鬼滅の刃のヒットが後押しとして存在していたのではないかと思われます。
鬼滅の刃も、シングル・マザー家庭に育った主人公が、セックス・ワーカー差別や機能不全出身者たちと出会いながら、自分の中の「まとも」を貫いてゆくという物語でした。
悪役であるキブツジムザンは作中で唐突に「私は変化が嫌いだ!」などと保守権威主義者宣言をしだしたりしていて、恐らくはその辺りが作品のテーマなのだろうと思わされました。
鬼に感染した者はまた鬼になるということ、製剤をキーとした物語であること、大戦を道標として社会の変遷を背景としており、最後では時間が取んで急に現代社会の「いま」が映されて終わるところなど、鬼滅の刃とゲゲゲの謎は非常に共通点が多い作りとなっています。
ほとんど同工異曲なんじゃないかとさえ感じます。
今回の解説は、私にとっての同工異曲もどきです。
私が十年間ずっと言っていたことを、この偉大な二作のメッセージへの解説として書いています。
どうか皆さん、目を覚ましていただきたい。
今このタイミング、世界最大レベルのジェノサイドが起きているタイミングでこの作品が公開されているのだから、決してスルーをするべきではない。
いまを生きてこの世界を主催しているはずの我々が、きちんとした対応をしなければ。
いまを変えられるのは私たちだけです。
これからの世界のためにもぜひ、世の中を変えてゆきましょう。
まずは自分の生き方から。