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鳳眼拳から、元の場所に還ることに

 師父との、2023年最後の稽古が収まりました。

 太極拳、蔡李佛拳、洪拳を教わり、それぞれ新しい内容について大変得るところがありました。

 もう、充実しすぎて溢れんばかりです。

 本当に、何も持たない、最低だった私の人生はこんなにも豊かな物になった。

 師父からも、老師からも人類の宝が沢山与えていただけています。

 この日の稽古の中で、師父に前の記事にも書いた尖拳について報告いたしました。

 この尖拳、つまり鳳眼拳を看板としている武術と言えば白眉拳。白眉拳と言えば師父の得意武術です。

 かつて私にその握り方を教えてくれた師父に、体得できなかった落第生が、ようやく少し掴めたという報告となりました。

 私が断脈にそれを試して結果を得たと言う話をすると、師父は何かを思い出すように思案気な顔をされてからおっしゃいました。

「それは、私が〇〇先生から教わったことと一致する」

 やはりそういうことでよかったようです。答え合わせで〇が尽きました。

「四肢百骸(沢山の物質的な部品からなる物質的な肉体)ではなく、相手の気を打つのだと教わっています」とのことでした。

 あの拳形は、少なくとも私たちの派ではとがった処を固めて痛くする外部破壊を目的とした物ではなく、相手の経脈を自分の気の流れで断つという、点穴、断脈用法の物であったようです。

 研究を続けていると、こういう答え合わせが訪れることがあります。

 このようなお話の結果、師父は少し後の小休止のタイミングで「ぜひ、白眉拳をもう一度覚えて持って行ってほしい」とおっしゃいました。

 白眉拳は師父の魂の場所だと言われた大切な物です。

 昔私が蔡李佛の師父になったとき、白眉拳は別の師父を育てて継がせたいとおっしゃっていたのですが、私が引き継ぐことになりそうです。

 また一つ、体得するべき武術が増えたようです。

 ただ、これは伝統主義で研究者だと言う私のスタンスのからの見解で、師父のような大きな拳師の視点からすると、どうも中国武術や古武術の高級段階はみな共通すると言うことのようで、統一視点からの教伝を意識されているのだろうと推測しました。

 研究者の私としては、また別の門派を体得することで、より広く研究が出来ると思い、嬉しさに身が震える思いです。

 この拳が出来るようになれば、物凄く強力な勁を打ち出さなくても、鋭い勁で相手の脈気を断って倒せるようになるはず。

 本来は、多くの門派の最高級段階がであるはずです。

 蔡李佛でも、断片的に教わりました。

 おそらく亡くなった総帥の崔廣源大師などは、この段階を御父上の崔章大師から受け継いでいらっしゃったのでしょう。

 しかし、革命の調練武術であった鴻勝蔡李佛では、一般の師父はそこまではやりません。

 とはいえこれは中国武術に普遍的な物であるようで、福建人の師弟が、虎拳の遣い手が点穴の名手に突かれて死んでしまったという昔話などをしていたと師父が教えてくれました。

 また一つ、先の段階に進むことが出来る門が開いたようです。

 これから私も爺になってゆく中で、そういう体力的に優しい物を学べると言うこともまた嬉しい。

 なにせ、日本人の中国武術家はみな、老いてからの練功を教わることが出来ずみな夭逝しています。

 中国武術は天癸にあった練功がふさわしい。

 正しい道を歩めていることに大きな感謝をしています。 


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