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南派短拳の勁

 本年入って最初の対面練習で、老師から南派短拳の発勁法を集中的に習った。

 教わっているうちに、これがどうやら、師父が白眉拳の練習で口にした崩勁であろうということが感じられてきた。

 崩勁と言う言い方は、本来は太極拳での表現かもしれない。師父は色々な武術のマスターなので、用語の引用元が多岐にわたる。

 この崩勁、どうやらボールが張り出すような勁ということなのだけれども、今回老師もボールということを繰り返し教えて下さっていた。

 なので、恐らくはこれはボールの勁なのだろう。

 蔡李佛の鉄線の勁とはイメージが違う。

 通背系の鞭とも違う。

 しかし、私が以前に提唱した球の勁と言う意味ではどれも共通するところがある。

 ようは、何で球形を描くかということではなかろうか。

 崩勁、老師の謂われるボールのような勁では、これは球の弾力や、それが縮んだり膨らんだりという球そのものの伸縮がそのまま発勁になっているのだと感じた。

 鉄線勁や鞭勁では、鉄鞭や軟鞭の軌道が球形だ。

 空間の切り取り方としては球だが軌道が全然違う。

 この要領が分かると、ちょっとまた見えてくる物があった。

 ある派の新派、という名の分派の太極拳を見ると、これが非常に南派短拳に似ていることに気付かされる。

 元々、内家拳という名前の武術は南派短拳だったと言われている。

 なのであるいは、そのやり方に依って行って分派した物なのかもしれない。

 しかし、元々の陳式拳法はというと、これは通背拳類だと言われている。

 つまり、元々鞭だったわけだ。

 確かに、単鞭や通背などの言葉が招式の中に見られる。

 この仮説に則って見るならば、陳式拳法は元々球の軌道であった物が次第に球の勁に移行していった物なのかもしれないと言える。

 あるいはその変化は、武禹穣や楊露禅の時代に起きたことかもしれない。

 先日、陳家拳法が太極拳に作り変えられた時代の立役者であった、太極拳の妖怪こと呉図南の太極拳を観たのだけれど、これは現在の太極拳と較べてはるかに鋭い物だった。

 おそらく、あきらかに時代が進むにつれてぐにゃぐにゃが誇張されて行って鋭さが失われて行っている。

 太極拳と白鶴拳の共通性が知られるようになったのは清末から民国時代の初期だったと思うのだけれども、ここでまた南派短拳との共通性に繋がるのが面白い。

 福建白鶴拳類、あるいは鶴法と呼んでも分かりやすいか、これらは南派短拳の代表的存在だと思う。

 他の多くの南派短拳がかなり類似の体動をしている。

 といまの段階での私は感じている。

 私が学んでいる武術の一つである白眉拳が理解できるようになってきたのは、間違いなくこの鶴法を老師から教わったからだ。

 そして、この白眉拳を学び始めた時、最初に教わった基本拳は同じ客家拳である龍形拳だった。

 広東にある武館で併修されていた物を師父が持ってきてくれたのだ。

 この武術の発勁を、驚弾勁と言う。

 弾というのはこれまで弾くと言う意味だと思ってきたけど、何が弾けるのかというとこれ、あるいは球なのではないか、ということに思い当たって来た。

 爆弾のように球状に力が弾けるのだ。

 驚という言葉に、その瞬間的爆発性が表現されている。

 なお、この驚というのは気においては七情というものの一つとされていて、人体においてとても重要な物だとされている。

 なぜなら人体において陰陽の根本だとされている腎が宿しているのがこの驚だからだ。

 そして、通背拳類においては、用勁は一般的に言われる丹田ではなく命門で行われると言われる。

 命門とはどこか。

 すなわち左右の腎の間で、両腎の気が繋がる場所だとされている。

 師父が教えて下さっている太極拳では、この左右の腎を回転させることで球を描くとする。

 これが球状の勁の根本だ。

 太極図では陰と陽の二つの勾玉状のシンボルが回るようにして球を描いている。

 二つの勾玉が左右の腎で、描かれた球が丹田となる。

 これを基として球の発勁を行っている。

 なお、私が教わっている鶴法では非常に特殊な例として左右の肩甲骨を同じように扱うのだけれど、この中間は中丹田だ。

 つまり、中丹田での球状発勁を強調しているということにはなるまいか。

 実に面白い。

 この面白さは、天地自然の働きとして人間の身体にある物だ。

 それを味わうのは自由へと至るためだ。

 どうして巷間の人々は自らを抑圧的な環境に置き、この自由への道を窮屈で退屈な物にしようとするのだろうか。

 己の卑屈さが檻となって自らを閉じ込めているのだろう。

 実にもったいないことだ。

 おそらくはその檻は自らを守る冊としてしつらえた物なのだろう。

 それでは自由には至れない。

 おそらく道には至れまい。


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