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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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この有為の日々の中で

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 先日、部屋を片付け……とまではいかないですね、部屋で発掘作業をしていた時に、パスポートの確認をしました。

 案の定、期限が切れていました。

 人相の悪い物騒な髪形の男の顔写真、タイとフィリピンを行き来しているスタンプ、どうもこれはルフィー一味かなにかの証拠物件のように見えかねない。

 その証拠物件パスポートには、本当に世話になりました。

 私の近年の修行時代を共にした物です。

 まさか自分が、パスポート切れになるとは思っていませんでした。

 なにせパンデミックさえなければそのままあちこち往来する人生を送っている予定でしたので。

 つまり、それだけ長くこの病禍が続いているということです。

 パスポート自体、切れてから二年も経っていました。

 パンデミックが認識され始めた年、私はフィリピンで修行をしていました。

 その最中に病が蔓延し始めて「中国人は奇妙なウイルスを持っている」と現地で騒ぎになり始めていました。

 中華系にも見えるでしょう私も何度か遠巻きにされた記憶があります。

 これは世界規模の問題だとフィリピンで感知した私は即時人生の予定を変更して、恐らくはその沈静化にかかるであろう五年を目安とした期間をいかにして使うかを再検討しました。

 結果、国内で鍼灸学校に入ることになり、いまに至っています。

 計画をした年、そのため学費を貯めた一年、それから入学して来年で卒業です。

 気が付けばそれだけの時間が経っていました。

 私の四十代半ば以降の五年間はそうやって過ぎ去ってゆきました。

 一切の無駄なことなどない、充実した濃密な五年でした。

 疫病が落ち着いたらまた対面活動を再開しようと思っていて、しかしまた新しい株が発生して、いまだに再開のめどは立っていません。

 しかしその分、たっぷりと学ぶことが出来ています。

 私にとっては、重要な修行期間となりました。

 パンデミックの初期に繰り返し、これまでの日常はもう無くなったので、みんな早く身の振り方を考えた方がいいと警告をしていました。

 あの時に何も考えていなかった人たちは、今頃どうなっているのでしょう。

 ただ五年老化をしただけでしょうか。

 私は驚くほど沢山の人生の宝を得ました。

 長い待期期間を自らを育てる時間に活用している間に、齢半世紀を重ねることになりました。

 この間に、更に沢山の人類の宝を分け与えられ、多くの聖賢の学問を吸収し、自分の在り方を見つめなおすことができ、経済的にも落ち着き、より一層人生に対して物が良く見えるようになり、30代の巨乳の彼女も出来ました。

 このパンデミックの期間はパラダイム・シフトの時期であり、ここでの生き方への自覚の持ち方がこの分断での自分の居場所を決めると、私は繰り返し言ってきました。

 現在、この分断はもう修復不可能なまでに広がってしまっているように思えます。

 かつてはこれを、バカとそうでない者の分断だと思っていました。

 最近では少し見え方が変わってきています。

 これは、貧しい物と豊かな者の分断だと表現するのが適切なように思えています。

 これを聴いて、それが金銭的、物質的な意味だけだろうと思った人が貧しい人です。

 苦境の時代にただ現実を見ずに閉塞して行くだけだった人々と、自分の生き方を見つめなおして自分の望みを真に理解してそのためのライフスタイルを得ることを中核に出来た者の違いです。

 人生が貧しいのか豊かなのか、そういったことを言っています。

 私はパンデミックのずっと前から隠者を標榜していて、俗世間とは最低限しか関わらないで来たのですが、この度の学生生活でこのところは随分と俗世を間近に目にしています。

 その体感の上で世の様々な景色を覗いてみれば、やはりこれが驚くほど貧しい人たちばかりに感じられます。

 一体この人たちはどうしてそんな矮小な生き方をしているのだろう、本気でそのまま老いて死にゆくつもりなのだろうかと呆れるのですが、そういうつもりでいるのでしょう。

 というより、貧しいと言うのは貧しいと言うことさえ理解が出来ないということなのでしょう。

 その見解の狭隘さが、すなわち貧しいと言うことです。

 この貧富の差に取り返しのつかなさに途方に暮れている中で、私自身忙殺されていて忘れていた物を思い出し、来年からまた以前の生活に戻るための支度をするに当たって、重要な心構えを得るにいたりました。

 当たり前すぎて恐縮なのですが、それはすなわち、タオに帰ると言うことです。

 本来私はずっと道の上に居たはずなのですが、巷間で忙殺されているうちに随分有為に囚われがちになっていました。

 なにせ他人が決めた形式の中で暮らさないとならない状態でしたので。

 来年からはまた、人の枠の外、天地自然の中で暮らしてゆくことになります。

 命とは本来、自由な物です。

 この小さな社会は、そこでしか生きられない病人や弱者、小人たちを守る小さな檻なのでしょう。

 自ら空を飛びうる物が、閉じ込められていてよい場所ではない。

 また、パスポートを取り直さないと不便かもしれませんね。


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