神話学的性愛の見解について 3
今回はアモールについてお話すると予告しました。 これは、相手の人格への愛だと言うことで、近代以前の西洋には存在しえなかった物だと言います。 つまり、一定の文化状態が無ければ、人格の形成とは難しい物です。 少なくとも、一般化はしない。 私などは現代日本社会でも充分一般化していないと思いますが、人間が人格を確立すると言うのは極めて稀な物です。...
View Article神話学的性愛の見解について 4
房中術における性愛の心は、果たしてエロスかアガペーか、という問いに答えるならば、それは間違いなくアガペーです。 未分化であるとは思うのですが、割合で言うなら中核はアガペー。 相手に愛着を持ってはいけないし、一般的に言う射精もしてはいけません。 ではその時、修行者が性交をしている対象者はなんなのかというと、これはパートナーの中に宿る気や仏性、法、道などと呼ばれる物です。...
View Article新年初稽古
2024年になって初日は身体を休めながら事務仕事をしていました。 確定申告の作業をちまちま進めながら、なんで毎月やらないかなあと思っていたのですが、理由はずばり、忙しくて疲れていたからです。 そう思うと、まぁ一年よく頑張ってたんだなこの人は、という思いに駆られました。 なのでよし。 ですので、初の練習は二日からとなりました。...
View Article鳳眼拳と補の点穴
このお正月休み、鳳眼拳による点穴を実験していました。 この拳で勁を用いることで、まずは相手の気の流れを補充して回復させることが可能だと言うのが取っ掛かりでした。 東洋医学で言う処の補ですね。 それから、逆に気の流れを断つ断脈が出来ることも分かりました。こちらは瀉です。 武術としては後者が用法なのですけれども、点穴ということに関して言えば前者も重要です。...
View Article南派短拳の勁
本年入って最初の対面練習で、老師から南派短拳の発勁法を集中的に習った。 教わっているうちに、これがどうやら、師父が白眉拳の練習で口にした崩勁であろうということが感じられてきた。 崩勁と言う言い方は、本来は太極拳での表現かもしれない。師父は色々な武術のマスターなので、用語の引用元が多岐にわたる。...
View Articleこの有為の日々の中で
先日、部屋を片付け……とまではいかないですね、部屋で発掘作業をしていた時に、パスポートの確認をしました。 案の定、期限が切れていました。 人相の悪い物騒な髪形の男の顔写真、タイとフィリピンを行き来しているスタンプ、どうもこれはルフィー一味かなにかの証拠物件のように見えかねない。 その証拠物件パスポートには、本当に世話になりました。 私の近年の修行時代を共にした物です。...
View Article新しいカンフー映画の中の傑作 1
以前に、最近の功夫映画は抗日政策を離れて自由で楽しい物が沢山作られるフェイズに入ったと書きました。 この思いは、作品を見るごとに強まっています。 新しく、自由で、かつ、これまでの文脈を良く勉強して踏まえています。その上で膨らませている。 このあいだ観たのは、霍元甲物の一作でした。 この霍先生、精武体育会で知られている有名な先生です。 映画としては、ブルース・リーの傑作「ドラゴン...
View Article新しい功夫映画の中の傑作 2
前回は、古きを踏まえて新しいアイディアで作った面白い功夫映画が近年出てきているということを書きましたが、今回も一つ紹介しようと思います。「太極」という名の映画です。 こちらは、1、2の二作セットとなっていて、太極拳の初代である楊露禅師が主人公のお話です。...
View Article新しい功夫映画の中の傑作 3
前回から「太極」を紹介していますが、この作品の面白いところは単に反清複明の反体制映画に回帰したということではなく、敵方の攻撃者に対して非常にしっかりした書き込みがあるということです。 初めの政府からの侵略者は、ヒロインの婚約者で清朝に勤めることになった若者です。...
View Article用勁の所見
いま、師父から求められているのは洪拳の要領です。 洪拳と言えば鉄線勁と言う印象があったのですが、やってみたらば以外に短勁が多用されます。 あれ、これ短勁っぽいけど短勁でいいのかな? そうなの? と思ってたらそれでいいとのことでした。 ですから師父は、洪拳は蔡李佛と白眉拳の中間のようにやるようにと教えてくれます。...
View Article中国武術の暴力的な蹴り
先日の同好会活動では、蹴ることをテーマに選びました。 運動不足解消のためにミットを蹴ろうと言うのが一つのきっかけです。 ですので、格闘技時代に使っていたミットを20年くらいぶりに引っ張り出してきました。 そういう激し目な運動をするとまた、膨張を続けている私の身体につけた服はすぐに破けると思って、当時使っていた道着も引っ張り出しました。 なんと懐かしい……。...
View Articleちゃんみなちゃんのルッキズム
以前にこちらでも紹介したことのある、大変に知的なフィメール・ラッパーのちゃんみなちゃんが、非常に興味深いことを語っていました。 彼女は元々、人と群れない、迎合しないと言う、とても独立心の強いアーティストです。 というか、独立心のない人間が表現なんてしなくていいとさえ私は思うのですけれど。 そのちゃんみなちゃんがデビューしたとき、反応の多くが容姿に関する物だったと言うのですね。...
View Article二足歩行の機序
私たちのしている中国武術と言うものは、人間の中に有る動物の本能を引き出して動く物です。 二足歩行をして進化した物を、また四足歩行の動物のOSに戻してそれで二足歩行の動きをする、というのが中核コンセプトになっています。 そういう不思議なことを中国の人は長い間研究していたのですね。 だからこそ、人間が人間であることにとどまっていては出来ない力が引き出せます。現代の格闘技とは違う個性ですね。...
View Article長勁と短勁、あるいは長拳と太極拳に関する私論 1
思わぬ縁で、私はこの人生において驚くほどに沢山の中国武術について深いところまで教われることになりました。 それは言い換えれば、まったく違うと言われて来た二種類の勁について考えると言う課題と直面するということです。 両者はまったく違うと厳に戒めていた師父その人は、いまはこれは実は結局同じ物だと言う結論に至っています。 確かに、使う部品や仕組みに関しては、実はほとんど同じであるように思います。...
View Article長勁と短勁、または長拳と太極拳に関する私論 2
前回は長勁に関することを書きました。 その特異な勁を用いるのが長拳であり、これはアダム・シュー先生の御一門では非常に重視されている物だと聞きます。 少し前、偶然にその御門の練習風景を動画で拝見しました。 私の学んだ蔡李佛的に見て、完全に正しいことをしていました。 これは蔡李佛が長拳にあることを明確に示した証拠であると感じました。 瞬発ではなく、止まった力で打つ。...
View Article長勁と短勁、または長拳と太極拳に関する私論 2
前回は長勁に関することを書きました。 その特異な勁を用いるのが長拳であり、これはアダム・シュー先生の御一門では非常に重視されている物だと聞きます。 少し前、偶然にその御門の練習風景を動画で拝見しました。 私の学んだ蔡李佛的に見て、完全に正しいことをしていました。 これは蔡李佛が長拳にあることを明確に示した証拠であると感じました。 瞬発ではなく、止まった力で打つ。...
View Article長勁と短勁、あるいは長拳と太極拳に関する私論 3
長勁と短勁の区別について考えた時に、とても大きなヒントになったのが陳式太極拳でした。 以前に陳式太極拳の新架を見た時に、非常に勁が短いと感じたのです。 その派では雷のように迅速に発勁するということを言っているのですが、それはつまり一瞬の閃くような発勁ということです。 私の目にはそれは、まるで南派短拳のように見えました。 そういえば、元々内家拳というのは南派短拳の一派だったという話があります。...
View Article長勁と短勁、あるいは長拳と太極拳に関する私論 4
前回までで、現状の私が思う長勁と短勁に関する見解を述べました。 太極拳の放鬆が大きなヒントになったと書きましたが、ここについてもう少し書きます。 放鬆時にも、体を立たせている力は存在します。 この力が、拙力であったら発勁は主に下半身を中心とした立つ力(定力)から先の発勁として行われることでしょう。 ですが、これが勁で立っていたら、体は常に電気を通したような状態であることになります。...
View Article長勁と短勁、あるいは長拳と太極拳に関する私論 5
さて、前回までで、長勁と短勁という区分は明勁や暗勁という区分とは別で、どちらでも明勁は可能である、ということを書きました。 では暗勁はどうでしょうか。 これがやはり可能です。 長勁の場合は話が早い。最初から勁は待機しているので、そのまま後は当てるだけです。 この時、何を当てるのかと言うと、拳を例に挙げるとしたらこれは拳を当てるのではありません。 全身です。...
View Article筋肉芸能人たちの不祥事報道から 1
さて、ここの記事はいつも、伝統的なアジアの人体観という物を縦軸として、伝統武術の継承者であり、気功をし、中国医学などを研究している筆者の立場から、伝統思想や現代人の姿について所見を書いてなどいます。 東洋的な哲学などの視線で人体を見ると言うと、極めてプリミティヴな徳と罰による現世利益論に至ってしまったり、またもう一歩踏み込むなら前世の因果というような考え方に陥ってしまう部分もあります。...
View Article