こういうお話がまた出てきました(下リンク)。
かねてから書いているように、この国の異様ないびつさ、社会気風の醜さが原因となって、沢山の人が生きづらくなっていることがこの背景にはあると思っています。
私が行っており、また指導をしている中国武術は元が仏教の修行であり、その場合の仏教とは信仰化する以前の、解脱思想と言われる思想の一つとなります。
解脱思想とは、生まれながらの抑圧や社会的束縛から開放されて、自由に生きるとはどういうことかを追求する哲学です。
抑圧や束縛にはいろいろな種類の物があります。
肉体の機能、性別、人種、容貌、場所、社会階級、生活背景など、本当に多岐にわたる要素から人は、本来自分が望んでいる自由から束縛されえます。
恐らくはこれに対する対策は、適応と呼ばれる物なのでしょう。
適応とは変化であり、それはいくらか情緒的に表現するならば、成長であると言っても許される範疇のことではありましょう。
その成長を以下にするか。
そのためのコンセプトが思想であり、メソッドが修行と呼ばれる物ですね。
中国武術とは本来、そのような物として伝わってきました。
この場合の中国武術とは、中国政府が創作して競技として普及させている武術太極拳のような表演競技ではなく、そこらの誰かが創作したような自称中国武術でもなく、また真正な継承者から学んだ物の人に教えれるレベルにまで理解をしていない者が勝手に指導をしているような自己流中国武術でもありません。
インドの修行であるヨガにルーツを発して、お釈迦様、達磨大師と継承されて中国に渡り、禅宗の総本山である少林寺を経由して中国全土に広まっていった物のことを称しています。
いまこの国に、そういった物を伝える本物の老師はせいぜい数十人しかおりません。
〇〇大会チャンピオン、などと経歴に書いているような人は、上述の政権リードの競技大会の伝道師だと見てまず間違いはないでしょう。
そうやって、社会を抑圧する側の権力が、社会制度化した創作武術を蔓延させている。
それでは一層生きづらくなってしまっても仕方がありません。
このように、大人であってさえも目眩ましをされて、何が本当なのかを知るためには何段階かの労力を割かねばならないこの複雑な世の中で、そこに至るまでの「成長」をするまでの間で子どもたちが力尽きてしまったとしても、それは不思議なことではありません。
それを防げるのはまさに、この様な世の中を見過ごしてきてしまったまさに大人たちの責任であると言って良いでしょう。
いまだ自分で物事を判断できて歩いていける前の子供達を、身代わりに死なせて自分たちが楽をして生きるような大人ばかりの社会にしてはいけません。
もっと良い人生が私達には選択できるはずです。
そしてそれは、もっと良い社会に繋がっていることでしょう。
私達の団体では、生きづらい未成年の皆さんの一助になりたく思っています。
もし、未成年の方でこのような武術に興味を持った人がいらっしゃいましたら、無料で参加できる活動が用意されています。
ぜひ遠慮なくお問い合わせください。