最近ラジオを聴いていて、いくつかの番組から「おじさんたちはスパイスからカレーを作ったり筋トレを始めたりする」と言う冷笑を伴った話を耳にしました。
典型であるだけでなく、凡庸さに対する軽蔑のニュアンスを感じました。
またSNSでも目にしたのが「自分は50ですが周りからはよく若いと言われるし週末には自転車に乗るのを趣味にしていて、今度フルマラソンにも挑戦する予定なんです」というキラキラアピールに対して「それも含めて一言でオジで済みます」という切り捨てをネタのしたトピックを見ました。
フィジカルに投資する人への冷視は、この国の昔からの風習です。
これは女性に対する視点にも共通していた物で、テニスやアルゼンチン・タンゴに励む女性をバカにしていたおじさんたちを昔はよく目にしたものです。あぁ、それと、英会話教室に通うOLさんを笑うおじさんたち。
しかし、いまではそのおじさんたちが笑われる立場となっています。
笑われるおじさんたちはかつての笑っていたおじさんたちではなくて、努力をしているおじさんたちです。
つまり日本社会には、努力をする人に対して弱みを見せていると言わんばかりに笑いの対象にしてやろうという空気が流れているというように私は感じます。
もう少し前の時代までは、中年のみならず若い人に対してでも、身体を鍛えていることに対する同じ対応をよく目にしました。
あのときになぜか優越感を見せて笑いものにしてた人たち、いまごろぶよぶよの肥満体になってるんじゃないですかねえ。
自らを鍛えて高めようとしている人に対しての彼ら凡庸な外野からの定番のセリフは「お前は何になりたいんだよ」でした。
この言葉の中に、何者かになろうという人間への敵視、何者でもないままで団子になって弱い者同士肩を寄せ合ってちんけな社会を形成している人たちからの、いわば自分たちのレベルから抜け出そうとするものへの「裏切り」を敵視するように感じるのは気の所為ではないように思います。
一方で、最近ではどうしようもない日々の中からワンチャン抜け出すために一発狙おうという層が筋トレ業界に増えているという話もあります。
これまでのように穏当に自己管理をしていたいという人たちだけなく、本当に何かになろうとして筋トレをしようとする層が現れてしまった。
その層と響き合うように現れているのが、中高年になってから武術で自分の人生をワンチャンどうにかしようとしている層だと聴きます。
これらの人たちの困ったところは、実力をつける気はあまりなくて、手っ取り早く誰かに威張りたいという目的を持っていがちだと言うことです。
いやー……。
絶対うちに来ないでほしい……。
そういう人たちの心理を上手く掬い上げて、見事に顧客獲得をしている人たちも沢山いるようです。
頑張ってください。
と、これまでは彼らはどちらも私とは関係のない苦界の人々だと思っていたのですが、最近ふと思ったことがありました。
なぜ彼らは、そんなにいじましくナルシシズムを補おうと必死になるのか。
全員が自己愛的な自慰が大好物の変態揃いだと言うわけでもありますまい(正直、私が会った人たちを見る限りでは全員そうだと思っていましたが)。
なのになぜ、そんなにまでして上達する気もない武術をしたりしてモラトリアム活動に勤しむのでしょうか。
単に、ミッドエイジ・クライシスだと切り捨ててしまうことも可能ではあるのですが。
おそらくは、それまでの人生において、十分に自己愛が満たされない人生を送って着たからでしょう。
この国の社会構造の問題です。
彼らもまた、若い頃から自己向上の努力をするたびに「何になりたいんだよ」と笑われて、たかがそれだけの足の引っ張りに屈してまた群れの中に戻っていっていた人たちなのかもしれません。
そうやって群れの倫理で両隣にいい顔をしてお愛想だけを生存戦略にここまで生きてきたものの、そういう自分の惨めさからとうとう目を逸らせなくなってそのような自己愛乞食行為に出てしまっているのかもしれません。
このように、何者にもなれない量産型の人間を作り続けてきた戦後日本社会の罪はあまりにも重いように思われます。
あまりにも不幸な人をたくさん作って来てしまった。
おそらくは、陰謀論にハマる人やかつての2ちゃんねらー、オカルトやスピリチュアルに依存する人、ネトウヨ、カルトの信者なども、同様の人々なのでしょう。
そんなものになってしまうくらいならね、そりゃあ筋トレしてスパイスカレーを作ってた方がいいに決まっているじゃないですか。
武術モラトリアムに逃げ込んだ人たちも、せっかくだったらまっとうに努力をして、それなりの実力を得たほうが絶対いいと思いますよ。