先日の練習のとき、珍しく師父に東洋医学について質問など致しました。
師父は施術の仕事や施術家の育成をされていて、東洋医学にかけては誰にも負けないと自負されている方です。
一方で私は、そんな師父のもとで勉強をしているのですが、自分自身は施術を生業にする気はどうにも湧いてきはしません。
とはいえ、ふと思ったことがあったので初めて質問をしてみたのです。
すると師父は、手づから脈を取って疑問に答えてくださいました。
その最中にふと「消しましたね?」とおっしゃいました。
私は「はい」と答えました。
何をかと言うなら、それは脈のことです。
以前もクラスメイトの神指圧師氏に脈診を受けている時に、気功で脈を消すといういたずらをしたことを書きましたが、今回は師父に同じことをしました。
いたずらをしようと思ったわけではありません。
気功で整った状態に自分を置くと、自然に脈拍や血圧などのヴァイタル・サインが低下して、非常に静かな状態になってゆくのです。
中国の考え方では、自分自身のやかましさ、うるささが自分を消耗させているがために人は本来得られるはずの長寿を得ることができなくなっているといいます。
そこで、瞑想で自分を消して養生をするというのが基本的な考え方となっています。
私は習慣的に何もしていないときにはその状態に還るようになっているので、黙って脈を取ってもらっている間は自然に脈が消えるのですね。
血圧による血管の損傷というのは日本人の死因の比較的上位に入っているのですが、この症候群の典型として、脈の分岐点の部分に長い間血流が当たっている内に、その部分が損傷するという物があります。
自分の血行の激しさで自分自身を傷つけてしまうのですね。
ときにはそれが致命傷ともなりえる。
心身一如を解く中国医学では、これを自らのあり方で回避しようとします。
今回取ってもらっていた脈診というのは、人体の六臓六腑に対応する場所を指で触れてその働きを読み取るという物です。
これらには感情もまた反映するとされていて、怒りは肝臓、悲しみは肺というように、対応する臓器の脈が過剰な感情に現れます。
瞑想状態で脈が消えるということは、あるいはそれら自分を濁す感情から開放されることにも繋がります。
一日五分でも十分でも、自分自身を煩わせる己のエゴを手放すことは、どれほどの救済になることでしょうか。
気功、禅、中国武術は、それらにつながる養生法です。
師父のような名人に脈を消せたことを確認してもらえたことは、一定の評価をいただいたということでしょう。