もう少し、ジョーゼフ・キャンベル先生の神話学について話させてください。
キャンベル神話学では、英雄神話の研究によって、全人類に普遍的な心理学的倫理や成長という概念が語られています。
これ、心理学なので、神話構造において是とされることに反する生き方をしていると、仮にどれだけ利便性が 高いとしても、ストレスが貯まるし精神病になる、ということが含まれています。
これは本当に、現代日本社会に物凄く必要な概念だと思うのですね。
私が育った時代までは、この国ではサラリーマンになることがすべてでした。
家業を継ぐ子供以外にとって、最善の選択は会社員だという設定で教育がなりたっていました。
その頃によく言われたのは「遊べるのは大学生の頃だけだから」という言葉です。
良い会社に入ることが大前提の正義とされていたので、大学入学まではすべてを受験に注ぎ込み、大学時代だけを自由に過ごしたらあとはまたサラリーマンとしての型にはまったレールを歩むというのがもっとも幸せな人生だとされていました。つまり、それが人生の「成功」です。
女性の場合は、就職後「腰掛け」という職業期間を経て24歳までに結婚をして子供を生み、母親として残りの人生を生きるということが既定路線とされていました。
今の社会では、夫婦同姓や女性の管理職率の低さが問題になるなど、人の人生がなにか硬直した思い込みによって決めつけられていることが問題になっていますが、かつては男性もまたそのように固定概念で人生が決めつけられていたのです。
これはセンシティヴな問題です。
上述の固定概念は実に馬鹿げたものだと思いますが、ここにはある種の神話学的心理学に則った土台が存在します。
ですので、多くの人が首を捻る部分がありながらもそこに乗っかってしまっていました。
しかし、現在では上述の人生モデルが、主に経済的事情を理由に崩壊しています。
結果、上述の窮屈な人生モデルさえ提示されることのない世の中になってしまいました。
努力して、誰もがストレスフルで苦くて不安定な生活に行くことになる。
昔の宇多田ヒカル先生の曲の歌詞に「将来の夢が公務員なんて夢がない」という物があります。
昔は、生涯賃金が決まっていて金持ちにもなれないしその枠の中での人生しか送れない公務員になるなんて、バカだと思っていたのですね。
でもいまは、むしろそれ以上の人生を想像することが難しい人たちの方が多いかもしれません。
そのくらいに、何もわからないままただ、苦しめられるだけの人生を送っているように思えます。
これはおそらく、神話学的な人間の成長の階梯を見失ったことに由来している部分もあるのではないかと思うところがあります。
人が成長するということを見失ってしまった社会の中では、ただストレスが溜まってはそれを解消するというだけで労力と持ち時間が消費されてゆきます。
何も構築してゆけはしない。
昔だったら、少なくとも何も考えてなくても家庭を作ったり年功序列の収入は保証されていたような物です。
でも、そういうものさえなくなってしまった。
ただ溺れないように息を吸いながら、力尽きるのを待っているような生活が当たり前になっています。
そのような中で、ただストレス解消だけが肥大してゆきます。
そのためのモルヒネは、大昔なら「飲む」「打つ」「買う」だったと聴きます。
大量消費社会になってからは「セックス」「ドラッグ」「ロックン・ロール」。
90年代には「ダンス」「サッカー」「セックス」でした。
いまは?
私がかねてから言っているのは「オタク」「オカルト」「スピリチュアル」です。
これらによる息抜きは、人を一つも成長させない。
それはつまり、永久に状況は解決されないということです。
状況を変化させるには、やはり神話学的な成長が必要であるように思います。
もしそれができないならば、いつしかモルヒネの量が足りなくなり、ストレスによって精神が蝕まれて病気になる。
心理学的な健康のお話なので、当然そういうことになりましょう。
成長を拒絶して生きようというのは、非常に危険なことであるので自分のためにならないと思いますよ。