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ジェラス 3

 片桐氏はその戦いの結果、見事東京を救うことに成功し、そして誰も知らない戦いを共に乗り越えたかえるくんを失います。

 もちろん、彼が存在していたことさえ誰も知りません。

 この映画で面白いことは、街行く人がみんな半透明の幽霊のように描かれているということです。

 そして、主人公の一人である小村には「空っぽである」というラベルが張られ、もう一人の片桐は誰にも何も認識されていない存在ですが、最後には人知れず世界を救って傷つき、そして本を読むと言う新しい一歩に踏み出します。

 物語は東日本大震災の直後で、小村の妻は自分の国で今しも人々が被災して死に続けていることにひどく気を病んでいます。

 しかし東京の人々は、そんなことは自分にも何も関係ないとばかりに日常生活を送っています。

 恐らくそれが、彼女が小村の元を離れた理由でしょう。

 街行く半透明の人達も小村と同じで、自分の住む社会にも世界の在り方にも何の関心も持っていない存在です。

 それは必然、空っぽだということになります。

 片桐はしかし、世界を知り、犠牲を払って戦ったことによって文学に触れるようになるという、世界を知るための生き方へとシフトしてゆきます。

 村上春樹はこのようなことを「オミット」と「コミット」という言葉によって表現しています。

 この二人は、そのようなベクトルにおける対称の存在であると詠んでも良いことでしょう。

 なぜ社会は、小村のように「ハンサムで優しくて親切で中身が空っぽ」の人達ばかりになってしまったのでしょうか。

 自分の小さな生活にしか興味を抱かない人達ばかりに。

 それは恐らく、本当に現実の世界を生きていない、ということであるでしょうに。

 私の好きな春樹氏のエッセイ集の最後に、非常に胸を打つ文が書かれています。

 この世界は先の見えない暗い森のようなところで、たくさんの人が世界に対して良心的な接し方をすることを忘れてしまっている。自分ももう、そのような生き方に引きずられてしまおうかと力尽きそうになることもあるというのです。

 しかし、耳を澄ませば暗い森の奥からは時折、誰かが必死で世界のために戦っている剣の鳴る音が聴こえることがあると。

 それ耳にするたびに、自分もまだ戦わなければならないのだと思いを新たにするというのだ、というお話でした。

 私はそれを「いいなあ」と思い、その生き方を選択しました。

 

 

 

 

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