前回は「インサイド・ヘッド2」を引き合いに嫉妬について書いたのですが、このお話はもう一つ観た「めくらやなぎと眠る女」に通じるのです。
というのは、こちらの映画、村上春樹の短編集を参考にしていたのですが、いつも村上春樹映画と一緒でいくつもの作品を一つにまとめたような映画にしています。
ですので、作中でほとんど関わらない二人が主人公として設定されています。
そのうちの一人は「小村」という若いサラリーマンで、彼は「ねじ巻鳥クロニクル」の主人公と重ね合わされたキャラクターとなっています。
もう一人は同じ会社に勤めている「片桐」という男性です。
こちらは小村と比べて大変年上でほぼ老人のように見える冴えない男なのですが、作中で語られたところによるとまだ40代半ばで、彼の風采が上がらないのは個人的な特性であるようです。
このうち、小村は非常にハンサムで善良であるとされています。
しかし彼の妻は「あなたは空気の塊みたい。優しくて親切だけで中身がない」と言って家を出てゆきます。
彼は後に出会ってベッドを共にした若い女性から「あなたの魂は空っぽだ」と冗談で言われて、彼女を絞め殺す夢想を抱きます。
一方の片桐は「poor Katagiri」と小村の友人にささやかれるくらい、風采だけでなく仕事ぶりもさえない存在として会社で笑いものにされています。
自己認識としても「不細工で禿げで太り始めていてチビで仕事もできず、まだ独身で最後に女性と寝たのは数か月前だしその時もお金を払ってだし、歌も下手だ」と語っています。
私は彼の独白を聴きながら、これが彼の人生において重要なのだなと思いました。
上のセリフに列挙された物は全て、承認欲求に属する物だと言えましょう。
私に言わせれば、確かにそうではない方が好ましい物が多いですが、全て他人から見ればどう見えるかという物差しによるもので、自分自身の価値としてはあまりに不確かであるように思われます。
ここで前回の「インサイド・ヘッド2」に繋がるのですが、一見若くて成功している小村にしてもみすぼらしい片桐にしても「イイナー」に支配されている。
自分と言う物を持ち合わせていないのです。
このうち、小村の物語は自分が何も持っておらず、何者でもありえないことを受容したところで終わります。彼はまだ若い。それは重要なステップとなることでしょう。
対して、まだ40なのにすでに老人のような片桐の方は、世界を救うと言う冒険をすることになります。
この戦いは、原作の中でも非常に人気のあるエピソードらしい「かえるくん、東京を救う」の物語となります。
村上作品に頻出する概念のような存在の一つである「かえるくん」に選ばれて、彼は世界を救うためのバディとなります。
この戦いに関してかえるくんは「勝っても誰も褒めてくれず、負ければ傷ついてひそかに死んでゆく、誰も知ることのない戦いだ」と語っています。
そう。これは承認欲求とはまったくかけ離れた、本質的な価値のレベルのコンフリクトなのですね。
つづく