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Channel: サウス・マーシャル・アーツ・クラブ(エイシャ身体文化アカデミー)のブログ
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あらためて300を 3

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 世界最強の帝国だったペルシアが、最古の民主主義国であるアテナイに侵略をしてくるというお話を前回いたしましたが、ペルシア側の指揮官は個人的な復讐心からギリシアを火の海にしようとしているアルテミシアで、対するのはアテナイの将軍、テミストクレスです。

 このテミストクレス将軍、王族でも貴族でもありません。

 ですので、出撃に当たっては議会を開いてちゃんと弁論をし、票を集めて出ないと戦えないのです。

 このシークエンスは300でも描かれていました。

 そちらの場合は、神殿を取り仕切る呪術師たちが、麻薬で神がかりになった霊媒師から託宣を得るも、それは八百長、でもそんなこと関係なく王者である主人公のレオナイダスは個人的な権威で勝手に身内の300人を率いて出撃して以下やりたい放題のち全滅、という流れでした。

 もう登場する人たち全員がオカルトとか精神主義とか権威と暴力に任せていて、まったくなんの対話も成立していません。

 これはスパルタの風習らしく、王が出撃した後も会議が開かれるのですが、残されたゴルゴ王妃は女性だということで発言権が弱く、ならばこれはもうと言うことで反対意見の物を会議中に刺殺して万事OKという滅茶苦茶な形で国策が決定されていました。

 純粋に暴力で勝ったもん勝ちという実に野蛮なお話なのですが、これ、古代の暴勇で歴史に名を成したスパルタではなくて、普通に第二次世界大戦でも起きていたことですよね。私たちの国で。

 というか、前の選挙の結果が出た時もホワイト・ハウスで起きてましたね。

 要するに、現代人、現代民主主義国の人間はいまだ大部分が馬鹿すぎて民主制が貫徹していないのです。

 しかし、民主制の聖地であるアテナイではきちんと話が通されてテミストクレスが出撃に至りました。

 出撃後も、彼は非常に丁寧な仕事をして軍を動きを運んでゆきます。

 部下は、前述したように普段はパン屋や食器屋さんをしているアテナイの市民です。

 そういう職業軍人ではない人々を、名将が巧みに動かして仕事をさせてゆくのです。

 スパルタ側のように横スクロールで象を倒してゆくような景気の良い戦いはありません。

 スパルタ兵の物語では最後、彼らがヘラクレスの子孫だということが思い入れたっぷりに語られて、その亡骸に哀悼の念が表現されていました。

 まさにそれが「神話の終わり」であったことが今回の「帝国の進撃」を見ると判ります。

 人間と政治の時代が描かれているのです。

 最大の勢力を持ったペルシアの進撃に対して、世界最強で名を成したスパルタ兵とも違う戦い方でしのいでゆくアテナイに対してアルテミシアは興味を持ち始め、テミストクレスとの会談を持つことになります。

 そこで彼女は、彼がただのまともな男であることに驚き、そして自軍に招き入れようと離間の計に及びます。

 面白いのは、これがさすがに300、まともな話し合いではなくて、殺し合いのようなセックスによって行われるのですね。

 お互いが上になったり下になったり、噛みついたり上で激しく腰を振ったりという攻撃によって相手を責め立てながら取り込もうという、性の戦いを行うのです。 

 アルテミシアはこれだけの大乱を引き起こしただけあって、非常に自己の強い立派な女性です。

 しかし、テミストクレスには、民主制という信念があるのですね。

 ですので、私心によっては動きません。

 とはいえ、アルテミシアもひとかどの人物、思い通りにならない彼に苛立ちながらも、自分と同じ強い人間として認めるのです。

 これは、半神の英雄として描かれたレオナイダス王とは全く違うことになっています。

 民主制における、市民の強さ、ということなんですね。

 個としての暴の強さや気風の良さでは人語に落ちない神の子レオナイダスは、同じく神になった王者アルタクセルクセスと闘い、その数の力の前に死にました。

 神の子なので、死んで星座になって大往生です。

 しかし、民主制のテミストクレスはある種のつまらない役人としてその職務を実直に、地味にまっとうして、最後には勝利を得るのです。

 この勝利の最後のカギはというと、外交です。

 根回しをして、スパルタの留守を預かっているゴルゴ王妃(例の会議で政敵を視察して指揮権を獲得していたらしい)と対話をしていたことで、同盟が結べていてペルシア軍を挟撃できたのです。

 300人で特攻を仕掛けて「ゆかいゆかい」と死んでいったレオナイダスとはホントに真反対。

 これがつまり、人の暮らしと言うのは、それだけのことをして守るべきなのだ、という民主制の理想のためなのです。

 最初に書いたように、私はこれをこの8月のさなかに観ることが出来ました。

 8月というのは、二度の原爆記念日を経て、敗戦の日を迎えることで、民主制の大切さ、それを支える市民としての責任、あり方を噛み締める季節です。

 この作品をこのタイミングで味わうことができたことは、私にとって非常に重要なことでした。

 自分だけ良ければそれでよいということではありません。 

 多くの人が自由に暮せる民主制と言う物の維持のために、民主的な生き方を貫くということが、我々現代人の持つ、いつも書いている神話学的な強さとはまた別の、そして同時に表裏一体の人間の強さとしてとても大切なことだと思いますよ。


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