前回話した無相の話の続きです。
相が無いということは、形が無いという意味だ、というところまでは書きましたが、その秘訣は骨肉分離にあります。
これは、骨の設置と肉の動きを別にするということです。
つまり、肘は曲がっていても腕全体の肉は伸びている、と言ったようなことです。
有名な古拳譜にも「力は骨より発し、勁は肉より発する」というように、この肉の使いがポイントです。
ここに、我々が言う膜という概念があります。
膜を操ることが内勁だと言ってもいいのではないかと思っています。
これが出来ると、拳骨を握って拳を作るのではなく、肉の膜を使って拳を作れますので、実際には指は握りしめなくても大丈夫になります。
また、同様のことを胴体でも行うことができますので、脇腹や背中などの膜でも拳を作ってそれで的を殴りつけることが出来るようになります。
これでもう、関節を瞬発的に屈伸させて骨の運動で殴るという行為から離れることができます。