先日の茅ヶ崎クラスが終わってから、スタジオのオーナーさんとお話をしました。
元自転車のチャンピオンで、いまはダンサーという高い身体能力を持った方なので、お話を聞くといつも大変勉強になるのですが、今回は自転車でのトリックについて実演付きで伺えました。
自転車で、ジャンプしておいてウィリーで着地してそのままターン、というようなことをしてくれたのですが、もちろん私には何をどうやればそんなことが出来るのかわかりません。
分からないながらも、体制が崩れては倒れてしまうから、身体の内側で維持している軸をそのまま全体に影響させて自転車をコントロールするのかな? と思いました。
しかし、実際はそうではなくて、ガワで動かしているんだよ、と教えてもらいました。
ダンサーでもあるので、内側はお仕事ですごく使っているはずなのですが、それとは別に外の物はこの場合体の外側で操作していたようです。
なるほど。
しかし、外側と言っても、それが単純にアウター・マッスルであるということにはなりません。場所としてのガワです。
私たちの勁でも、真芯に近い軸の部分で使う物と、外側に近いところで使う膜があります。
この膜、外側と言えば外側なのですが、いうならば外側の裏です。
自分がソフトビニール人形になったことを想像しなさい、と私は教わってきました。
その空っぽの内側の方の面を使います。
もちろん、一部の天才肌の人をのぞいて、多くの人にはそれだけでは足りません。
そこの活用を促す内功法と、その膜そのものを育てる練功をしてゆかないと、いたずらに内側に負担がかかって偏差を起こします。
そういった段階的な育成法が備わっていないスポーツの世界で自得している人は、間違いなく天才です。
だからこそ、そこには明確な結果の壁があるのでしょう。
内功の武術はそれではいけません。
誰でもが出きて、きちんと変化を続けてゆける設定がされていないと。
ただ、それでも安全なガイドラインを守らないと偏差を起こして心身のバランスを崩してしまいます。
そのために、人となりの部分がある種の才能や素質なのだと言うことも出来るかと思います。
中国武術で本当のことを授かれる人が一握りなのは、この部分があるのではないかと感じています。
当人のためにならない、ただ病気になるだけのことをわざわざ時間をかけて教える人はいません。
安全な用法を守って行ってくれる人にしか、精妙な物を手渡すわけにはいかないのです。
それは師父となった物の責任だと思います。
もし非常事態でその責任を破ったときには、白蓮教の乱や、義和団事件の時のような、安全性を始めから度外視した、左道の武術が広まることになります。
それらはその場の効能はありますが、同時にその場で滅びることを前提をしたものです。
そう言った物は、本来の道ではない。
そこが中国武術がただの戦闘の手段や格闘技ではなく、学問であり、ライフスタイルであるというところです。
それを理解しないと、本当のことは学べません。
その中核となる気功の部分は、アルニスだけをやる人にも経験してほしいなあと思っています。