スター・ウォーズのサイド・ストーリー、ローグ・ワンを観てきました。
以前よりルーカスのサーガは彼が少年時代に見ていた武侠映画を下敷きにしているという説を唱えています。
悪の帝国に支配されて、本拠であった寺院を崩壊させられて離散した宇宙の守護者、ジェダイの設定は、清朝に焼き討ちにあった少林寺の物語を土台にしているのだと推察しています。
有望なジェダイであったにも関わらず、敵方に裏切って仲間を修行中の仲間を皆殺しにしたアナキン・スカイウォーカーは、清朝に寝返って少林僧を虐殺したという白眉道人の物語とそっくりです。
本編でのルーク・スカイウォーカーが、破壊された寺院の痕跡を旅して秘伝を探しているというのも、実に少林拳的なお話のように感じます。
その解釈で言うと、フォースというのは禅における法やタオイズムにおける道となります。
実際、作中で語られる言葉の多くはタオで解釈すると納得のいくものとなります。
フォースは宇宙のすべてに充ちている、というのは気そのものであると感じられます。
また、ルークの先達であるオビワン・ケノービは屍解仙となり、左道であるシスになった物は身体が病んでゆくというのも、魔境と偏差を意味しているのでしょう。
そんな物語だての中で、今回のローグ・ワンには焼き討ちにされたジェダイ寺院の寺僧だったという盲目の人物が登場します。
彼は寺が焼かれてからは辻で物乞いのようなことをしています。
武侠小説好き、および世界の中華系の人々はニヤリとする設定でしょう。これすなわち、丐幇です。
丐幇と言うのは乞食の組合で、中国では昔から最強の秘密結社であると言われてきています。
と、いうのも、遊行僧や落ち延びた将などが身を持ち崩した後にこの組織に身を投じていると言われているからです。
そのために、この組織には秘伝の武術が継承されているとされています。
この乞食坊主を演じているのが、武侠俳優ドニー・イェンです。素晴らしい狙いすましたキャスティングでしょう。
武侠小説では、盲目や体が不自由などの人物には達人が多いのですが、これはおそらく荘子の影響でしょう。
身体が不自由な物は、身体の内にタオが働いているという故事が荘子にはよく見られます。
ドニー・イェンのキャラクターも武術の達者でスゴイ最先端の装甲で身をよろった帝国兵を杖一本でバシバシ倒してゆきます。
個人的には帝国兵の鎧、歴代鈍器に弱すぎると思ったり、ドニーのアクションが中国武侠系ではなくてハリウッド式のエスクリマ風なのが不満ではあるのですが、丐幇で杖というのはまたニヤリとさせられます。
丐幇の有名な武術に、打狗棒という物があると言われているからです。
これは残飯をあさるときに野良犬と競り合いになるため、それを追い払うために持っている杖の術だと言われています。
このドニーさん、ジェダイにはなれなかったと言う人なのですが、フォースがあると思わせる描写があります。
最初の殺陣のシーンだけは耳を澄まして音で敵の位置を察しているような描写があるのですが、のちのシーンでは空中を飛来する敵機を銃器で撃墜し、墜落先をコントロールして地上を爆撃するという超人技まで披露しています。
この手の技、EP7ではポー・ダメロンがのみならず、フォースの適正を象徴するものとして全編に見受けられます。
スター・ウォーズのアクション・シーンの特徴に、撃墜されるのではなく、自己による墜落というのが多いというのがあるのですが、それが自然に環境に適応できる能力、すなわちタオとの調和として表現されているのだと思うのです。
平たく言うと直感ですが、ルークはそれを体得するために修行をしていました。死地に陥ったときに思い切って手を放して流れに身を任せるというのはタオの生き方そのものです。
今回のドニーさんも、銃弾飛び交う中をマントラを唱えながら直進して行った結果、無傷にわたりきるというシーンがありますが、タオのままに生きるとはこのようなことだとされています。
そのドニーがジェダイではなかったと言うのは、おそらく、道教で言う仙骨が無かったという物なのでしょう。
そして、なければないでよいのです。
持ち前のままに生きることが最善とされています。
MAY THE TAO BE WITH YOU。